レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年02月11日
- 登録日時
- 2010/02/11 16:40
- 更新日時
- 2010/03/14 12:04
- 管理番号
- 山形県-2008-0046
- 質問
-
解決
鈴村進著「細井平州と上杉鷹山」のP65に出てくる「吉田次左衛門 一夢 68歳・50騎組の家柄、一刀流剣法の達人」と記述があるこの人物について知りたい。
- 回答
-
おたずねの「吉田一夢」は、一刀流の達人で、細井平洲が招かれて米澤に来藩した折、藩をしいする者として、暗殺を謀ったが、逆に平洲の隙のなさに感服したという逸話のある藩士です。下記の資料にその詳細が載っています。
1.「稿本清覧録」P22に『吉田次左衛門諱秀序(ひでつぐ)一夢ト號ス米澤藩士ナリ今南置賜南原猪苗代町ニ住ス一刀流ノ剣法ニ精達ス・・(略)』とあります。一夢の人となりがわかります。
2.「米沢市史近世編2」の『第一節学問と教育』の項中、『細井平洲が初めて米沢に逗留した際、・・(略)・・吉田一夢は、一介の素朴な武士であった。藩内の流言浮説に惑わされて悲憤慷慨、松桜館に潜入してひそかに平洲の隙を窺っていた・・・(略)』(P692)、また、P841からの『武術各流派と武芸所の設置』の中で『一刀流ニ代目梅沢運平綱俊の高弟として神保作兵衛忠昭と吉田次左衛門秀序』の名前が載っています。『後年「一無」と称した。一無についてのエピソードは数多い(米沢市史資料第10号)が一言にして評すれば清貧に甘んじ、自己の信念を貫いた剛直の剣士であった。』との記載があります。
3.「上杉鷹山と細井平洲」のP151~154「勇気(上)」のP114~117はご覧いただいた資料と同じ細井平洲が指一本触れずに刺客(吉田一夢)を退散させた内容となっております。「平洲先生と米澤」のP122~124に『ニ四、吉田一夢平洲を刺さんとす』の項があります。中で、ひそかに松桜館に入って平洲の隙を窺ったが、全く隙がなく「文と武と両岐はない其の極は一である」と、翻然として深く悟るところがあったとの記載があります。
4.「郷土に光をかかげた人々」P152~158、「米沢史談」P114~128では「吉田一無」としての人物紹介となっています。「米沢風土記」P89~90にも「剛勇清廉の剣士吉田一夢」として記載があります。上記の「米沢市史資料第10号米沢国人記(中・近世篇)」にはP116~119に人物紹介と宝永元年(1704年)から天明2年(1782年)の生没年とともに、吉田一無略系図が最後に記載されています。一夢の武人としてのエピソードと、彼の物事の判断は極めて合理的なものであったとの人物像がうかがいしれる資料です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 東北地方 (212 9版)
- 武術 (789 9版)
- 参考資料
-
-
資料①細井平洲と上杉鷹山/鈴木進著/三笠書房/1999(K289/ウエ)
資料②稿本清覧録/伊佐早謙著/米沢市役所/1908(YK287/イサ)
資料③米沢市史近世編2/米沢市史編さん委員会編/米沢市/1993(K274.1/ヨネ/3)
資料④上杉鷹山と細井平洲/童門冬ニ著/PHP研究所/1997(K289/ウエ)
資料⑤勇気上/鈴村進著/黙出版/1997(K289/ウエ/1)
資料⑥平洲先生と米澤/大乗寺良一著/平洲先生と米澤刊行会/1958(YK289/ホソ)
資料⑦郷土に光をかかげた人々/上村良作著/米沢児童文化協会/1968(YK287/カミ)
資料⑧米沢史談第2輯/中村忠雄著/置賜郷土史研究会/1965(YK274.1/ナカ/2)
資料⑨米沢風土記第1集/米沢市編/1966(K274.1/ヨネ/1)
資料⑩米沢市史編集資料第10号/米沢市史編さん委員会編/1983(K274.1/ヨネ/10)
※( )は自館の請求記号です。
-
資料①細井平洲と上杉鷹山/鈴木進著/三笠書房/1999(K289/ウエ)
- キーワード
-
- 吉田一夢
- 細井平洲
- 上杉鷹山
- 米沢藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000063112