レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年12月02日
- 登録日時
- 2023/01/13 16:08
- 更新日時
- 2023/01/13 16:08
- 管理番号
- 千県東-2022-0005
- 質問
-
解決
茨城近辺で活動していた「常山」という名前の書家を探している。
- 回答
-
「井村常山」という画家・書家の情報が見つかりました。
【資料1】『20世紀物故日本画家事典』(油井一人編 美術年鑑社 1998)
p50「井村常山 1843-1925」
「天保14年、三河国(愛知県。江戸とも)に生まれる。本名は貫一。南画を学び、(略)大正14年歿。享年82。」
【資料2】『人物レファレンス事典 郷土人物編第2期<2008-2017>)(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ 2018)
p99「井村常山」
「明治・大正期の画人・書家」
【資料3】思文閣ホームページ「美術人名辞典」より「井村常山」
「幕末・明治の南画家・常陸根本寺の住職。三河生(江戸生とも)。名は貫一、法名は空潭。還俗して、名古屋で清人若波につき南画を学ぶ。書は顔真卿を能くし、行書にすぐれる。」
【資料4】『常総古今の学と術と人』(大内逸朗編 水戸学塾 1935)
p419「井村常山」
「鹿島郡鹿島根本寺の住職なり」「曾て書を高齊単山に畫を山本梅荘に學ぶ」
【資料5】『茨城の画人 ふるさとの画家をたずねて』(大内健二著 川又書店 1988)
P170「井村常山」
なお、【資料6】「art-commons 展覧会情報検索@国立新美術館」によると、常陽藝文センター藝文ギャラリーで「理想郷を描く文人画家 井村常山展」が行われたそうです。
その概要で、「井村常山(本名:貫一)は天保12年(1841年)に尾張藩士の長男として生まれ」、「慶応元年に鹿島に至って」根本寺の住職を務めたこと、明治に入ると故郷で「絵と書の習得に努め」、「大正4年に再び鹿島にやってきた」との記述がありました。
また、井村常山の絵は、【資料7】とよはしアーカイブ「前赤壁之図」で見ることができます。
落款も押されていますが、画像ではつぶれてしまってよく見えません。
- 回答プロセス
-
・当館契約データベースのWhoPlusを人物名「常山」で検索したところ何件かヒットがあったが、その中に「井村常山」という項目があった。
参考文献で【資料7】『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和<戦前>編[1] あ〜し』(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ 2019)と【資料2】が紹介されていた。
・『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和<戦前>編[1] あ〜し』(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ 2019)(2101213388)のp252「井村常山」を確認すると、「明治・大正期の日本画家」と書かれており、【資料1】に収録されているとあった。
・情報を求めてGoogleをキーワード「井村常山」で検索すると、【資料3】【資料6】を見つけた。
・国立国会図書館サーチをキーワード「井村常山」で検索し、【資料7】を見つけた。
・次世代デジタルライブラリーを「井村常山」で検索し、【資料4】を見つけた。
・職員の紹介により【資料5】を見つけた。
・JapanKnowledge Libをキーワード「常山」で検索したが、情報は見つけられなかった。
・以下、情報が見つけられなかった資料
『号・別名辞典 古代・中世・近世/近代・現代)(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ2003)
『房総人名辞書』(千葉毎日新聞社編 国書刊行会 1987)
『房総の美術家資料篇』(千葉県立美術館編集 千葉県立美術館 1987)
『大日本書画名家大鑑 索引編』(荒木矩編 第一書房 1980)
「落款印譜編索引」
(インターネット最終アクセス:2022年12月11日)
※参考資料末尾の数字は当館の資料番号です。
- 事前調査事項
-
利用者が額装された古い書を持ってきて、「この作者を特定したい」とのことだった。書には「常山旨時年八十二」の記述があり、その左に「井○貫印」「常山翰墨」(○は判読不明)の落款がある。
恐らく「井」ではじまる苗字で、常山の号を使用していた人物だと思われる
常山と言えば河内村出身の内藤常山が有名だが、苗字が違うので別人ではないかとのことだった。
- NDC
-
- 書.書道 (728)
- 日本画 (721)
- 参考資料
- キーワード
-
- 井村, 常山(イムラ, ジョウザン)
- 書-日本(ショ-ニホン)
- 書道(ショドウ)
- 絵画(日本)(カイガ(ニホン))
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000327304