レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年09月28日
- 登録日時
- 2017/02/16 12:06
- 更新日時
- 2017/06/07 19:38
- 管理番号
- 埼久-2016-129
- 質問
-
解決
真田信之の正室である小松姫は稲姫とも呼ばれるが、幼名が稲(姫)なのか、同時期に併称されていたのか知りたい。
- 回答
-
真田信之妻の法名が「大蓮院」であることは確認できたが、生前の名前については諸説あり、確定した記述は確認できなかった。
1 実名を「小松(姫)」、幼名を「子亥(ねい)」とする資料
『日本女性人名辞典』(日本図書センター 1993)
p499「真田小松」の項
2 実名を「小松姫」、幼名を「於子亥」とする資料
『論集戦国大名と国衆 13 信濃真田氏』(岩田書院 2014)
p86-87 該当する記述あり。典拠資料に『新編信濃史料叢書 第17巻』とあり。
3 実名を「小松姫」、幼名を「於子亥」または「稲姫」とする資料
『真田氏三代 真田は日本一の兵 ミネルヴァ日本評伝選』(笹本正治著 ミネルヴァ書房 2009)
p154 該当する記述あり。
4 尊称を「小松」、実名を「稲姫」または「御子亥姫」とする資料
「二〇一六年NHK大河ドラマ特別展 真田丸」(日本放送協会 2016)
p106「信之夫人所用の扇」の項
p212 人物解説「小松姫」の項
5 当初の実名は「於子亥」または「稲姫」、後に「小松殿」と名乗り、慶長19年(1614)時点は「久」が実名だったとする資料
『真田信之 真田家を継いだ男の半生 角川選書 569』(黒田基樹著 KADOKAWA 2016)
p22に 該当する記述あり。典拠資料に『新編信濃史料叢書 第17巻 真田家御事蹟稿』『信濃史料 第21巻』とあり。
- 回答プロセス
-
1 所蔵資料の確認
『新編信濃史料叢書 第17巻 真田家御事蹟稿』(信濃史料刊行会編 信濃史料刊行会 1977)
p105-127、107 該当する記述あり。
『信濃史料 第21巻 自慶長16年正月至同19年12月』(信濃史料刊行会編 信毎書籍印刷出版部 1971)
p489-490「廿四日、真田信之ノ室、同信吉・信政ノ信之ニ代リテ大坂出陣スルヲ、木村茂綱ニ報ズ、」として、手紙の内容あり。文末に「久」と署名されている。
2 インターネット情報
《東京大学史料編纂所所蔵史料目録データベース》(http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller 東京大学史料編纂所)を小松姫(稲姫)の法名〈大蓮院殿〉で検索する。
謄写本「先公実録」(河原綱徳編)
「大蓮院殿御事蹟稿(上之巻)」「大蓮院殿御事蹟稿(下之巻)」のイメージ画像あり。
《大蓮院殿御事蹟稿(上之巻)》(https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/200/2075/887/54/0020?m=all&n=20 東京大学史料編纂所)
4コマ 関連する記述あり。
《大蓮院殿御事蹟稿(下之巻)》(https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/200/2075/887/55/0230?m=limit&n=20 東京大学史料編纂所)
46コマ 真田図書貫義相伝の書状写について「此ノ御文久ノ字ノ如クナルハ御名ナリヤ御側女中奉リノ名ナリヤ知ル可ラズ」とあり。「久」を真田信之妻に仕える御側女中の名前に比定している。
3 『先公実録』の書誌事項を確認する
《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈先公実録〉で検索する。
《信濃国飯島文庫史料》(http://base3.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/SKYSearch.cgi?IS_KIND=MetaMeta&IS_SCH=META&IS_STYLE=default&DB_ID=G0000004SKY&IS_TAG_S1=InfoD&IS_KEY_S1=ac1969201&IS_CND_S1=ALL 国文学研究資料館)
関連する記述あり。
《飯島文庫目録》(http://www.library.pref.nagano.jp/pdf/local/Local_Iijima.pdf 長野県立図書館)に「先公実録1~90 写」あり。
4 大英寺、長国寺を確認する
『日本女性人名辞典』(回答資料)
p499「信之は寛永元年(1624)小松の菩提を弔うため大英寺を創立」の記述あり。
『長野県百科事典』(信濃毎日新聞社開発局出版部編 信濃毎日新聞社 1981)
p470-471「だいえいじ 大英寺」の項に「真田信之が夫人大蓮院殿英誉晧月大禅定尼の菩提を弔うため建て」、1622年2月上田城下常福寺跡へ寺を建てた後、1624(寛永元年)現在地に移ったとの記述あり。
p527「ちょうこくじ 長国寺」の項に松代藩主真田家の菩提寺で、もとは小県郡真田に長谷寺として建立されたが、1622年(元和8)真田信之が上田城から松代城へ移ると同時に現在地に移転したとの記述あり。
『先公実録』「大蓮院殿御事蹟稿(上之巻)」の「大英寺」「長国寺」は、真田氏との関係性から、上記の寺院にあたると推測される。
5 関係自治体史を確認する
《国会図書館デジタルコレクション》
「松代町史 上巻」(大平喜間多編 長野県埴科郡松代町 1929)
p253-255(159-160コマ)「真田信之夫人伝」の項に関連する記述あり。(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1214230 国会図書館)国立国会図書館/図書館送信参加館内公開
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2016年9月28日。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 小松姫
- 稲姫
- 子亥(ねい)
- 真田 信之(サナダ ノブユキ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000210022