レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/9/20
- 登録日時
- 2023/10/14 00:30
- 更新日時
- 2023/10/14 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-230116
- 質問
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解決
文禄年間、宮城県名取市の堀内鶴に大友宗麟の息子(名は不明)がやってきて、その子が相馬家の家臣として堀内氏となったと聞きました。そのような事柄は「名取市史」などに掲載されていますか。
- 回答
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名取市の堀内鶴に大友宗麟の息子がきて、その長男が相馬家の家臣として堀内氏となったことについて、下記資料に記載がありました。※【 】内は当館請求記号です。
資料1 名取市史編纂委員会編『名取市史』名取市, 1977年【K221.2/ナ1】
年表内に以下の記述がありました。
p.937 「一五九五(文禄四) 大友対馬堀内へ居を定む」
資料2 『角川日本姓氏歴史人物大辞典』4, 角川書店, 1994年【K288/カ9】
p.532 「【八】名取市堀内字鶴に、キリシタン大名として有名な大友宗麟の支流と伝える大友家がある。文禄三、四年ころに宗麟の子義統が豊後国(大分県)から同地に下り、その長男玄蕃は相馬藩の家臣となって姓を堀内と改め、次男対馬が氏神牛頭天王を祀って同家の祖となったという。対馬の孫、太郎兵衛は堀内村の祈?寺として真言宗高照寺を建立し(後略)」
資料3 宮城県寺院総覧編纂会編『宮城県寺院大総覧』宮城県寺院総覧編纂会, 1975年【K185/ミ1】
p.465 「名取市」-「虚空山 高照寺」の項
「大友太郎兵衛」の記載がありました。
資料4 岩沼市史編纂委員会編『岩沼市史』岩沼市, 1984年【K221.1/イ2】
p.150 「第二章 明治以前の岩沼」-「第四節 江戸時代」-「6 領民統制の組織」-「(2)名取南方大肝入」の項
歴代の大肝入の氏名が列挙されており、「六代伊助より一一代大友多門までが、大友宗麟の子で文禄三年(一五九四)堀内村月屋敷に居住したと伝えられる豊後守義、系統の子孫である。」との記述があります。
資料5 佐々木喜一郎編著『岩沼物語』続, (岩沼町誌 ; 第2篇), 岩沼観光協会, 1967年【K221.1/サ2/2】
pp.234-237 「六 炉辺夜話」-「13 大友宗麟の末裔 附 藩政時代の酒造業」の項
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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- 名取市史編纂委員会/編. 名取市史. 名取市, 1977【K221.2/ナ1】:
- . 角川日本姓氏歴史人物大辞典 4. 角川書店, 1994.7【K288/カ9】:
- 宮城県寺院総覧編纂会/編. 宮城県寺院大総覧. 宮城県寺院総覧編纂会, 1975【K185/ミ1】:
- 岩沼市史編纂委員会/編. 岩沼市史. 岩沼市, 1984.1【K221.1/イ2】:
- 佐々木喜一郎/編著. 岩沼物語 続. 岩沼観光協会, 1967.9【K221.1/サ2/2】:
- 菊田定郷/著. 仙台人名大辞書. 続「仙台人名辞書」刊行会, 1981【K280/キ1-2】:
- キーワード
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- 大友, 宗麟(オオトモ, ソウリン)
- 大友, 玄蕃(オオトモ, ゲンバ)
- 大友, 対馬(オオトモ, ツシマ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000339761