レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年3月11日
- 登録日時
- 2017/03/29 00:30
- 更新日時
- 2022/06/02 12:50
- 管理番号
- 県立長野-15-110
- 質問
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解決
全国の国分寺の調査をしている。
聖武天皇が国分寺を建立させたと言われるが、その証拠となる様な文書はあるか。全国の国分寺や国分尼寺のデータが掲載されているようなものがあるか。
- 回答
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『国史大系 第2巻 続日本紀』黒板勝美編 吉川弘文館 2000【210.08/クカ/2】のp.163-164に国分寺建立の詔の原文あり。また『史蹟 国分寺 諸国六十六ヵ寺を訪ねて』樋口清之編 人物往来社 1968【185/16】のp.11-16に国分寺建立の詔の解説文があり、原文のままでは読み解きにくいと考えられることから、この2冊を紹介した。
また全国の国分寺、国分尼寺について一覧データとなっているものが、『国史大辞典 5』国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985【210.03/コク/5】のp.683に掲載されている。
- 回答プロセス
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1 当館蔵書検索で、「国分寺」を検索する。書誌情報から国分寺創建や国分寺全体の内容が含まれていそうな資料を選ぶ。
2 『国史大辞典』で「国分寺」を調べる。「(-前略-)天武天皇十四年(六八五)の詔で、「諸国の家毎に仏舎を作り、乃ち仏像及び経を置きて以て礼拝供養せよ」(『日本書紀』、原漢文)と令したことに関し、国府に仏寺を造らせたもので、国分寺の創建にあたるとする説があるが、国分寺の名が用いられる聖武朝とは年が開き、律令政治滲透に照応した仏教施策として、郡司らの寺よりも上位の官寺を画一的に設けたのが国分寺であり、天武朝の詔は国庁内に一堂を造るとか、国庁の建物の一部に仏像と経典を置くことを令したもので、国分寺の思想的な濫觴と解される。」『続日本紀』の中に聖武天皇が天平13年に出した詔勅を確認。(-後略-)」とある。
3 「聖武天皇」をひいてみる。天平12年10月「(-前略-)十月の末には天皇自身平城京を放棄した。それ以後、恭仁宮・紫香楽宮・難波宮と転々せざるをえず、その間には諸国国分寺の建立、盧舎那大仏の造顕などの詔が発せられている(-後略-)」とある。
4 聖武天皇の時代を含む国史としての『続日本紀』を確認する。
<調査資料>
・『史蹟 国分寺 諸国六十六ヵ寺を訪ねて』樋口清之編 人物往来社 1968【185/16】
・『新修国分寺の研究 第6巻 総括』角田文衛編 吉川弘文館 1996【185.91/ツブ/6】
・『輝かしき古代の国分寺 国分寺学データベース』三村光広著 万年青書房 1991【210.2/141】
・『東国の国分寺 国家鎮護の寺々』上田市立信濃国分寺資料館編 上田市立信濃国分寺資料館 1995【N202/545】
・『東大寺と国分寺 日本歴史新書』石田茂作著 至文堂 1959【210.3/102】
・『国分寺の創建 思想・制度編』須田勉編 吉川弘文館 2011【185.91/スツ】
・『国分寺物語 諸国国分寺を巡る旅』須田勉監修 東日本鉄道文化財団 2013【210.2/コク】
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 仏教 (180 10版)
- 参考資料
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黒板勝美 編輯 , 黒板/勝美 , 藤原/継縄. 国史大系 第2巻 新訂増補. 吉川弘文館, 2000.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I053753339-00 , ISBN 4642003037 (【210.08/クカ/2】) -
樋口清之 編 , 樋口, 清之, 1909-1997. 史蹟国分寺 : 諸国六十六カ寺を訪ねて. 人物往来社, 1968.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001103661-00 (【185/16】p.11-16) -
国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第5巻 (けーこほ). 吉川弘文館, 1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001708653-00 , ISBN 4642005056 (【210.03/コク/5】p.683)
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黒板勝美 編輯 , 黒板/勝美 , 藤原/継縄. 国史大系 第2巻 新訂増補. 吉川弘文館, 2000.
- キーワード
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- 国分寺
- 国分尼寺
- 聖武天皇
- 続日本紀
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000213249