レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/01/31
- 登録日時
- 2021/08/27 00:30
- 更新日時
- 2021/08/27 10:37
- 管理番号
- 2021-0002
- 質問
-
解決
江戸時代の相撲は、興行日数が何日だったのか知りたい。「1年を、10日で暮らすイイ男」という言葉があるので、10日だと思っている。
- 回答
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◎回答資料
【1】『相撲大辞典』p.104-105 <興行日数の変遷>に次のとおり記載あり。
江戸相撲で、宝暦七年(一七五七)一〇月場所以降の興行日数は以下のとおり。
宝暦七年(一七五七)一〇月 このころは晴天八日間興行であった。
安永七年(一七七八)三月 晴天十日間興行となる。
【2】『大相撲!』p.98-99
江戸時代の勧進相撲について、「1年を、10日で暮らすイイ男」という言葉を挙げ、年1場所の10日間興行であったとの記載あり。
【3】『日本相撲大観』p.173-175
江戸時代の勧進相撲について、安永七年(一七七八)三月に最初の十日興行が行われたが、まだ八日興行が一般的であった。それが三年後の天明元年(一七八一)十月の回向院での興行から十日間に改められたとの記載あり。
【4】『大相撲の事典』p.108
<晴天十日>の項に、「江戸時代から年二回の晴天十日小屋掛け興行が行われ「一年を二十日で暮らすいい男」と川柳に詠まれた」と記載あり。
【5】『江戸川柳辞典』p.28
<壱年>の項に「壱年を廿日でくらすいゝ男」の句があり、解説に「晴天十日を春夏の二回すればよかった力士。」と記載あり。
【6】『新編川柳大辞典』p.48
<いいおとこ>の項に「②相撲取りの異称。一年を廿日でくらすいゝ男 晴天十日を二場所」とあり。
※【5】【6】ともに川柳の出典は『誹風柳多留 四四1』となっている。
【7】『ビジュアル・ワイド江戸時代館』p.416
「江戸の大相撲は、年二回制(江戸時代前期は三~五回)で、興行日数は安永七年(一七七八)以降、一場所晴天十日間(それ以前は八日間)となった。」と記載あり。
【8】『江戸がわかる用語事典』p.264
<相撲>の項に、「春と秋の二回、晴天一〇日ずつ行われたため「一年を二〇日で暮らすいい男」と川柳に詠まれた。」と記載あり。
インターネットより<1年を10日で暮らすイイ男>で検索。
「東京都立図書館HP 江戸・東京デジタルミュージアム 大相撲スペシャル」
「「一年を二十日で暮らすよい男」とは、力士たちの暮らしぶりをうたった川柳です。これは安永7年以降、相撲興行日が晴天8日から晴天10日に延長され、かつ江戸の定場所が、春・秋の2場所だったので、春秋の合計20日間相撲をとれば暮らしていけることを意味しています。」と記載あり。(参照 2021-08-25)
- 回答プロセス
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相撲に関する参考資料、一般図書を確認。
川柳に関する参考資料を確認。
江戸に関する参考資料を確認。
インターネットよりキーワードで検索。
- 事前調査事項
- NDC
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- 相撲.拳闘.競馬 (788 9版)
- 詩歌 (911 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 1 相撲大事典 金指 基/原著 日本相撲協会/監修 現代書館 2015.1 R788.1/カモ/2015 p.104-105 , ISBN 978-4-7684-7054-1
- 2 大相撲! 武田 和衛/著 ローカス 2000.1 788.1/タカ p.98-99 , ISBN 4-89814-066-1
- 3 日本相撲大鑑 窪寺 紘一/著 新人物往来社 1992.7 788/ク p.173-175 , ISBN 4-404-01928-9
- 4 大相撲の事典 沢田 一矢/編 東京堂出版 1995.9 788/サ p.108 , ISBN 4-490-10386-7
- 5 江戸川柳辞典 浜田 義一郎/編 東京堂出版 1981 R911.4/ハキ p.28
- 6 新編川柳大辞典 粕谷 宏紀/編 東京堂出版 1995.9 R911.4/カ p.48 , ISBN 4-490-10376-X
- 7 ビジュアル・ワイド江戸時代館 小学館 2013.7 R215/ヒ/2013 p.416 , ISBN 978-4-09-623022-0
- 8 江戸がわかる用語事典 西東社編集部/編 西東社 2013.12 R215/セ/2014 p.264 , ISBN 978-4-7916-1943-6
- キーワード
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- 江戸時代
- 相撲
- 江戸相撲
- 興行
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000303746