レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/06/06
- 登録日時
- 2023/07/30 00:30
- 更新日時
- 2023/07/30 00:30
- 管理番号
- 6001061293
- 質問
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解決
「喜見城」という言葉が蜃気楼の意味である由来を知りたい。
- 回答
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次の資料に記述があった。
・『日本地名大百科:ランドジャポニカ』(小学館 1996.12)
p.147「魚津(市)」
「魚津は蜃気楼(しんきろう)の街として知られる。蜃気楼は、海面付近の低温水により空気中に気温の不連続層が発生、光が屈折し対岸の風景が歪(ゆが)んでみえる現象。立山(たてやま)連峰の雪解け水が富山湾に注ぐ春先から初夏がおもな出現季節である。周辺に急流河川が多く、富山湾の屈曲部に位置するなど発生条件に恵まれているが、それでもなかなかみられない。加賀藩主前田綱紀(つなのり)はこれを吉兆とし、この現象を喜見(きけん)城とよんだ。」
・『蜃気楼のすべて!』(日本蜃気楼協議会/著 草思社 2016.4)
p.95「18世紀後半に書かれた『魚津古今記』では、加賀前田家5代綱紀が魚津に宿泊した際に蜃気楼を見て吉兆と喜び、これを「喜見城」と呼ぶように命じたと伝えられる(紙谷信雄、魚津古今記・永鑑等資料)。年代は明記されていないが、沢田宗堅や室鳩巣が仕えた17世紀後半以降のことであろうか。」
・『魚津古今記』(沢泉重夫/著 堀内丈造/校訂 魚津市教育委員会 1966)
『魚津古今記・永鑑等資料』は、国会デジタルコレクションで図書館・個人送信限定で公開されている。(2023/6/6 現在)
p.17(コマ番号14)「喜見城之事」に「昔ヨリ年々三月中ノ比ヨリ四月ノ末迄モ此浦ノ沖ニ当テ岩瀬野水橋等ノ浦続ノ並松ヲカタドリテ蜃気楼台ヲ作リ掛見ユル也(中略)中古松雲院様当所御旅泊ノ折御上覧有テ己来ハ喜見城ト可唱旨命アリト云伝タリ蜃気楼台ノ説(後略)」とある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2994371/1/14
魚津埋没林博物館のホームページ内「蜃気楼」の「蜃気楼と歴史」の項目でも由来が紹介されている。(2023/6/6 現在)
https://www.city.uozu.toyama.jp/nekkolnd/shinkiro/index.html
「1700年代に入って記された『魚津古今記』では、加賀前田家五代(利家を初代とした場合、以下同じ)・前田綱紀(1643-1724)が魚津で蜃気楼を実見し、以後蜃気楼を「喜見城(きけんじょう)」と呼ぶように命じたと伝えられています。」
[事例作成日:2023年6月6日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 気象学 (451 10版)
- 参考資料
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- 日本地名大百科 小学館 1996.12 (147)
- 蜃気楼のすべて! 日本蜃気楼協議会‖著 草思社 2016.4 (95)
- https://dl.ndl.go.jp/pid/2994371/1/14 (国会デジタルコレクション『魚津古今記』(2023/6/6 現在))
- https://www.city.uozu.toyama.jp/nekkolnd/shinkiro/index.html (特別天然記念物 魚津埋没林博物館「蜃気楼」(2023/6/6 現在))
- キーワード
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- 蜃気楼(シンキロウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000336554