レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年12月11日
- 登録日時
- 2005/12/11 18:35
- 更新日時
- 2009/03/04 18:50
- 管理番号
- 山形県-2005-0009
- 質問
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解決
『奥の細道』で芭蕉は山形県内に何泊したのか。また、県内で作られた句はどのようなものがあるか。
- 回答
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元禄2年3月27日、江戸を発った芭蕉とそ曽良は、5月15日に山形県は堺田(現在の最上町)にその第一歩を踏み入れた。封人の家に宿を求め出羽路最初の句となる「蚤虱 馬の尿する 枕もと」を作る。風雨のため2泊した後、険しい山刀切峠を越え尾花沢へ。ここに10泊し「涼しさを我宿にしてねまる也」、「這出よか いやが下の ひきの声」、「まゆはきを 俤にして 紅粉の花」の句を詠む。翌28日には大石田に着き3泊するなかで、『わりなき一巻』を残す。その中に「五月雨をあつめて涼し最上川」の句がおさめられているが、『奥の細道』には船下り後の実感を込めた「五月雨を あつめて早し 最上川」の句を載せている。その後、新庄に2泊するが、その様子やそこで詠まれた「水の奥 氷室尋る柳哉」の句も『奥の細道』には記されていない。
6月3日には羽黒山に登り「有難や 雪をかほらす 南谷」の句を詠む。月山・湯殿山にも登り、三山巡礼の句として「涼しさや ほの三日月の 羽黒山」、「雲の峰 幾つ崩れて 月の山」、「語られぬ 湯殿にぬらす 袂哉」を短冊にのこしている。10日に羽黒山から鶴岡に向かい3泊し、曽良の日記によると歌仙を催したとある。「珍しや 山を出羽の 初茄子」が詠まれているが、この句も『奥の細道』には載っていない。13日に酒田へ着き2泊し、そこから象潟へ行くため吹浦に1泊、18日再び酒田へ戻る。「あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み」、「暑き日を 海に入れたり 最上川」の句を出羽路の最後の作として、大山、温海を経て6月27日、越後路へ向かった。40泊という長期の出羽路の滞在により数々の名句をこの地に残していった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日記.書簡.紀行 (915)
- 参考資料
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- 奥の細道 芭蕉と出羽路 早坂忠雄/著
- やまがた文学への招待 松坂俊夫/著
- 旅あるき「奥の細道」を読む③出羽路 麻生磯次/著
- キーワード
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- 芭蕉
- 奥の細道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000025689