レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/11/10
- 登録日時
- 2023/02/02 00:30
- 更新日時
- 2023/02/02 00:30
- 管理番号
- 6001059412
- 質問
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解決
池田の亥の子祭りについて書かれた資料はあるか。
- 回答
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池田の「亥の子祭り」について、以下の資料に記載がありました。
■『池田市史 各説篇』(池田市史編纂委員会/編纂 池田市役所 1960)
「池田歳時記」(島田福雄/著)「11月の巻」に「亥の子=イノコ」の項(p.635-637)があり、おはぎを田の神様の象徴である農具に供え、子どもたちが新婚の家の門口を棒で叩く習俗について書かれている。また、p579には昭和3年筆者の母親が「亥の子のお祭」について語り、筆者が「笑い笑い聞き流したがそういう風に子供が廻ると何かしら後で問題になるとかで翌年からは禁止され」と回想する記述があります。
■『池田市史 概説篇』(池田市史編纂委員会/編纂 大阪府池田市役所 1971.3)
「(2)池田の年中行事」(p.1162-1192)の項中「11月の巻」に「亥の子」の項があり、以下のように記載されています(p.1189-1190)。新婚を祝う風習でもあったようです。
陰暦10月中に亥の日が二度ある歳と三度ある歳とがある。京都では一の亥の子、池田では二の亥の子(中略)を祝い日ときめていた。所で亥の子というのは元来、田の神さんへ新米を供える感謝祭だったのだが、今では人間が新米で作ったおはぎを食べる日の様に変って仕舞った。
しかしつぶさに調べてみると、池田でもあちこちで農具におはぎを供えるしきたりが残っていた。
それからむかしのひとは亥の子の亥は方角にすると真北に当る、真北は陰の極だから亥……すなわち猪は陰獣で火伏の霊験を持つと信じ、初こたつは亥の子ときめていた。
なお、猪は子供を沢山生むので、亥の子におはぎを農具に供える訳を多収穫の祈願と誤り思い込んでいたらしい。(以下略)
■『新修池田市史 第5巻 民俗編』(池田市史編纂委員会/編集 池田市 1998.3)
「第1章 池田市の民俗の特色」の「5 池田の年中行事」(p.68-83)の項中「イノコ」の項(p.82-83)に、以下のように記載されています。
イノコ(亥の子)打ちをして、ボタモチを作るのは摂津・河内の平野郡に多い。新婚を祝って、苞で地面を打つイノコ打ちは、昭和3年のこととして「池田歳時記」にも載っているが、翌年から禁止されたという。
才尊では、
イノコ イノコ イノコ餅ついた 繁盛せ 繁盛せ
と唄い、何も出さぬ家では、
イノコ イノコ イノコ餅つかんもんな
鬼産め 蛇産め 角の生えた子を産め
神酒一杯 飲ませんと
こっちの角をつきほぐすぞ
と悪口を言った。新婚の家では「シンマイ嫁さん祝え 祝え」と唄った(『がんがら』19号)。この苞打ちはモグラを打つためだともいわれる。
畑村では、11月の最初の亥の日に、床の間の「亥の神様」にボタモチ3個を箕に入れて供えたという。(中略)
本来は収穫を祝い新穀を祝う行事であるが、今回はそうした伝承は聞けなかった。収穫を祝うことから、子供を産む新嫁をはやしたり、性的な言葉が入るようになったので、風俗を乱すものとして禁止されたのであろう。
なお、文中に参考文献として挙げられている『池田歳時記』、『がんがら』19号、『池田・昔ばなしと年中行事』は、いずれも当館未所蔵です。
また、「第3章 池田の民俗」で各地域の年中行事等の説明があり、その中の亥の子に関する記述は以下の通りです。
・綾羽 「11月」の項(p.196)に「昔は、11月の亥の日にオハギを作って、お盆やお彼岸にもらった家に返しをした。そのとき、ナンテンの葉を重箱に入れた。(中略)本来は、田の神に新米を捧げて感謝の意をあらわすものであったのが、いつしか神でなく、人がオハギを食べる日に変わってしまったようだ」とあります。
・城山町 「秋から冬」の項(p.212)には「イノコ(亥の子)に「コンニャクを炊く。新町の「なべ嘉」に行って、ワラシベにコンニャクをさして買う」とあります。
・建石町・上池田 「11月」の項(p.244)に「11月にイノコ(亥の子)の行事がある。昔はワラで土を叩いた」とあります。
「第4章 細河の民俗」で細川地域の年中行事等の説明があり、その中の亥の子に関する記述は以下の通りです。
・東山 「秋の行事」の項(p.313-314)に「11月の亥の日はイノコ(亥の子)で、二個のオハギ(アンとキナコ)を一升桝に入れて亥の方向に向けて供える。このオハギは男の食べるもので、女は食べてはいけない。かつては、子供がワラで作った約1メートルの棒を持って、唄を唄いながら家々の門口で地面を叩いたが、戦前に消滅してしまった」とあります。
・吉田 「10月」の項(p.330)に「イノコ(亥の子)については何も聞かない」とあります。
・古江 「イノコ」の項(p.347)に、村の子供が5、6人で細長いワラで家の門口で叩きながら唄う風習について述べられ、「昭和の初めごろまでやっていた」とあります。
・中川原 「秋から冬」の項(p.364)に「イノコ(亥の子)は60年くらい前まで、月見の時におこなわれていた」とあり、子供たちが唄いながらワラを縄で固く巻いたものを家々の入口で叩きつけると、縁起がよいとされ子供たちは何かをもらえたと説明があります。
「第5章 秦野の民俗」で秦野地域の年中行事等の説明があり、その中の亥の子に関する記述は以下の通りです。
・東畑 「11月」の項(p.397)に「11月の亥の日には、男の子たちが新婚の家を回り、木の芯を入れてワラを縄で巻いたもので門口をポテンポテンを大きな音を響かせながら叩き、5銭~10銭を貰って帰った」とあります。
・西畑 「11月」の項(p.411)に「イノコ(亥の子)の行事では、子供たちが新婚家庭を訪れて、木の芯をワラで巻いたもので門口を叩いた。この日にはボタモチを作った。また、よその家の柿を取っても怒られない日とされていた」とあります。
・上渋谷 「田植」の項(p.416-417)に「11月26日ごろには、かつてイノコ(亥の子)という行事があり(現存せず)、子供たちが「イノコ、イノコ」といいながら各家を回り、新米のワラを束ねたものを玄関に打ち付け、「もう、秋終わりましたか」という。そうすると、家の人は訪れた子供たちに菓子をあげた。この日にはボタモチを作った」(p.417)とあります。
「11月」の項(p.425)に「亥の日には、イノコ(亥の子)の行事があり(前述)、この日から炬燵を入れた」とあります。
・下渋谷 「明月と秋の行事」の項(p.448)に「11月には、イノコ(亥の子)をする。新米のワラで縄を作り、新しい嫁が来た家に持って行って、「新婚さん祝いましょ」といって、縄で地面を叩いた。すると菓子をくれた」とあります。
・才田・尊鉢 「11月」の項(p.468-469)に11月の最初の亥の日にイノコ(亥の子)の行事をする。以前はオハギ(ボタモチ)を食べた。イノコという木の芯をワラで巻いた1メートルの棒を地面に打ち付けた。それは新婚の家から始めた」とあります。
「第6章 北豊島の民俗」で北豊島地域の年中行事等の説明があり、その中の亥の子に関する記述は以下の通りです。
・神田 「秋から冬」の項(p.491-492)にイノコ(亥の子)は11月の亥の日にするが、大正8年が最後だった」とあり、上述した子供たちが棒で門口を叩くという内容が書かれています(p.491)。
・井口堂 「秋」の項(p.525)に「11月はイノコ(亥の子)があった。11月の亥の日に、お年寄りが「今日はイノコやなあ」といって、ボタモチを作った。ボタモチは、新米の餅米でソフトボール大の大きさに作り、箕に鎌とボタモチを2つ載せて、米倉にお供えした。子供たちがワラを棒状にしたものを地面に叩きつけながら村じゅうを回るといったことは聞かない」とあります。
・北轟木 「季節の行事」の項(p.544-545)に「11月の亥の日はイノコ(亥の子)で、男の子が5-6人のグループを作り、「新米嫁さん祝いましょう」と唄いながら、木にワラを巻き付けた棒で新嫁のいる家の前や道の角などを叩いて回った。地を固めるという意味があり、イノコに来てもらう家では新米で作ったオハギを神仏に供え、それを子供達に振る舞うこともあった。
・北今在家 「イノコ」の項(p.564)に「第一亥の日にオハギを作る」とあります。
第8章中「第4節 祭礼の変化と変動する民俗」(p.671-735)の「イノコ(亥の子)」の項(p.695-696)に「畑村では11月の最初の亥の日に、床の間の「亥の神様」にボタモチをお供えして収穫を感謝し、家族のお互いの1年間の苦労をねぎらった。(中略)子供たちは昼の間に集まって、「イノコ槌」を作るのに夢中である」(p.695)、「夕方から、いよいよ子供たちの活躍の時間が始まる。その年に新しくお嫁さんを迎えた家に行き、「新米嫁さん祝いましょう」といいながら、その家の門のところの地面をイノコ槌でバタンバタン叩くのである」、「その家では、「よう来てくれはりました」と子供たちにお菓子を渡す。昭和5-6年ごろまでおこなわれていた行事である(『池田市史』各説編の中には昭和4年までおこなわれていたという記述もある)」(p.696)とあります。
また、巻末の「年中行事」p.32に「11月 亥の日 イノコ(各地)」とあります。
以下の資料も確認しましたが、「亥の子」に関する記載はありませんでした。
■『きたてしま物語:北豊島考』(広江悦朗/著 北豊島研究会 1981)
■『池田市の昭和:写真アルバム』(樹林舎 2019.1)
■『池田・昔ばなし』(池田市役所 1979ごあいさつ)
■『日本のお祭り 西日本編』(平野勲/絵・文 現代評論社 1980.8)
■『大阪のまつり』(大阪観光協会 1981.3)
■『祭り ふるさと西日本』(高橋秀雄/著 そうよう 2000.5)
■『大阪府の御供物行事』(大阪府伝統文化総合支援研究委員会HBネットワーキング/編集 大阪府教育委員会文化財保護課 2008.3)
■『大阪の祭り:描かれた祭り・写された祭り』(大阪歴史博物館/編 大阪府神社庁 2009.7)
■『摂河泉の神賑 第3巻(平成22年)』(古磨屋/編集 岸和田市青年団協議会 2010.3)
[事例作成日:2023年1月7日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 10版)
- 参考資料
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- 池田市史 各説篇 池田市史編纂委員会∥編纂 池田市役所 1960 (p.635-637)
- 池田市史 概説篇 新版 池田市史編纂委員会∥編纂 大阪府池田市役所 1971.3 (p.1189-1190)
- 新修池田市史 第5巻 池田市史編纂委員会∥編集 池田市 1998.3
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000328496