レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/03/17
- 登録日時
- 2022/03/30 00:31
- 更新日時
- 2022/03/30 00:31
- 管理番号
- 6001055197
- 質問
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解決
大阪府西成郡にあった鹿島神社の鹿島踊に関する資料はあるか。
- 回答
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大阪府西成郡にあった鹿島神社の鹿島踊に関する資料は、以下のとおりです。
■『摂陽群談 下』(岡田蹊志/編 歴史図書社 1969)
p.259に「鹿島神社」の項目があり、「同郡[西成郡]本庄村松原にあり。(中略)寛永の始諸国に疫病あり。常陸国鹿島神輿を出し、所々に渡し、万民の疫難を祈しめ其患を除く、因て僅之踊しむ。是則世俗の云る鹿島踊なり」
まず地名辞典で「本庄村」について確認したところ、鹿島神社および鹿島踊についての記載がありました。
■『日本歴史地名大系 28‐[1] 大阪府の地名』(平凡社 1986.2)
p.574「本庄村」に次の記載があります。
「豊崎神社があり、孝徳天皇を祀る。(中略)本庄の村明細帳には慶安四年(一六五一)鹿島神社を創建したと記すが(西成郡史)、『摂津名所図会』は同社を当地の産土神とし、寛永の初め疫病流行の際常陸の鹿島神を勧請したとする。これは豊崎神社内にあり、このとき村内で鹿島踊を行った。明治四一年(一九〇八)豊崎神社は南長柄の八幡大神宮を合祀し、境内に東照宮を遷し、厳島神社をこれに合祀した。」
■『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)
p.1107「〔近世〕本庄村」に、「摂津国西成郡」の「本庄村」について記載があります。
「神社に鹿島神社がある。諸国に疫病が流行した際,常陸鹿島宮の神輿を出して疫難除けを祈願,当村にも神輿が渡った由縁により勧請したという(摂津名所図会大成/浪速叢書8)この時村中で踊りを催し,鹿児[ママ]踊と称されたという。『摂陽奇観』にはこれらの記事を寛永元年の項に載せる(浪速叢書2)。」
この2点の辞典で挙げられている、鹿島神社、鹿島踊に関する記述の出典である資料を確認しました。
■『西成郡史. 第1編 第2編 第3編 第4編 第5編』(大阪府西成郡/編 大阪府西成郡 大正4)
『西成郡史』は「国立国会図書館デジタルコレクション」で見ることができます。
『日本歴史地名大系 28‐[1] 大阪府の地名』で記載されている内容については、下記のリンク先から確認できます。(2022/3/18現在)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950864/465
■『日本名所風俗図会 10 大阪の巻』(角川書店 1980.6)
秋里籬島『摂津名所図会』の翻刻が収録されています。
p.118-119「鹿島神祠(かしまのしんし)」(『摂津名所図会 巻之三』)に次の記述があります。
「寛永の初め諸国疫流行つて、常陸の鹿島神を勧請し、神輿をここにわたす。また村中をどりを催す。これを鹿島踊といふ。」
■『浪速叢書 第8 摂津名所図会大成』(船越政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会 1928)
暁鐘成『摂津名所図会大成』の翻刻が収録されています。
p.395「鹿嶋神祠(かしまのかみのやしろ)」に次の記述があります。
「寛永の初め諸国に疫病流行す時に常陸国鹿島の神輿を出し所々に渡し萬民の疫難を除んことを祈らしむ必らす霊験いちじるしく因てこれをいさめて踊りを催す世俗これを鹿島踊といふ」
■『浪速叢書 第2 摂陽奇観』(船越政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会 1927)
浜松歌国『摂陽奇観』の翻刻が収録されています。
「寛永元」年(p.49-50)の項に、次の記述があります。
「一 諸国疫病流行ス本庄村に鹿嶋神社を勧請して神輿をこゝに渡シ又村中をどりを催スこれを鹿島踊といふ」(p.50)
次の資料にも本庄村・鹿島神社に関連する鹿島踊の記述がありました。
■『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』(大阪府/編纂 思文閣 1970)
「鹿嶋神祠」(p.149)に次の記述があります。
「寛永の初の頃諸国疫病流行に際し常陸の鹿島明神を此処に勧請し、且神輿を渡して平寧を祈りきとぞ。又、村中に舞踏を催すことありて鹿島踊と称せしが今はなし。」
■『大阪府全志 巻之3』(井上正雄/著 大阪府全志発行所 1922)
「豊崎神社」の項(p.447-449)に、次の記述があります。
「寛永の初め諸国疫病流行せしかば、常陸國より勧請し、且神輿を渡して平寧を祈りしものなりと。もと鹿島踊といへる舞踏を催せしも、今はなし。」(p.448)
■『大阪府神社史資料 上巻』(大阪府神社庁 1986)【123/171/#】
大阪府 昭和8年刊の復刻です。江戸から明治大正期に至る大阪の郷土史文献から、大阪府内の神社に関する記事を採録したものです。
p.418-422に「村社 富島神社」の項があり、鹿島神社に関する諸文献の記述が引用されています。取り上げられている文献は、上にご紹介した「摂陽群談」「摂津名所図会」「摂津名所図会大成」「大阪府誌」「大阪府全志」です。
なお、鹿島神社の記述が「富島神社」の項にまとめられていますが、本来はその前項である「豊崎神社」の項に収めるのが適当であるように思われます。
■『大阪史蹟辞典』(三善貞司/編 清文堂 1986.7)
p.466-467「豊崎神社」の項に、明治41年に「八幡神社、東照宮社、鹿島神社などを合祀」とあり、鹿島神社について次の記載があります。
「鹿島神社は寛永年間(1624~44)の初め、諸国で疫病が流行した時、常陸国鹿島神社から神輿が出て各地を巡幸し疫難祈願を行うが、それが当地へ来た由縁で勧請したものである。その折村中で踊りを催し、これが鹿島踊りと呼ばれて以後も奉納されたと『摂陽奇観』等に出ている。」(p.466)
■『東洋口碑大全 上巻』(巌谷小波/編 博文館 1913)
凡例に「本書に掲げる説話は、さし当り不文の物を避け、悉く成文の物に限つておき、その出所を附記する事にした。」とあります。
p.86-88「鹿島の神輿」に「鹿島踊」について記載があり(p.86)、出所は「摂陽群談」とあります。
[事例作成日:2022年3月18日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 10版)
- 参考資料
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- 摂陽群談 下 岡田/蹊志∥編 歴史図書社 1969 (259)
- 日本歴史地名大系 28‐[1] 平凡社 1986.2 (574)
- 角川日本地名大辞典 27 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1983.10 (1107)
- 日本名所風俗図会 10 角川書店 1980.6 (118-119)
- 浪速叢書 第8 船越/政一郎∥編纂校訂 浪速叢書刊行会 1928 (395)
- 浪速叢書 第2 船越/政一郎∥編纂校訂 浪速叢書刊行会 1927 (50)
- 大阪府誌 第5編 大阪府∥編纂 思文閣 1970 (149)
- 大阪府全志 巻之3 井上/正雄∥著 大阪府全志発行所 1922 (448)
- 大阪府神社史資料 上巻 大阪府神社庁 1986 (418-422)
- 大阪史蹟辞典 三善/貞司∥編 清文堂 1986.7 (466)
- 東洋口碑大全 上巻 巌谷/小波∥編 博文館 1913 (86)
- https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950864/465 (『西成郡史. 第1編 第2編 第3編 第4編 第5編』(国立国会図書館デジタルコレクション))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000314295