レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/01/28
- 登録日時
- 2022/02/10 00:30
- 更新日時
- 2022/02/10 00:30
- 管理番号
- 6001053954
- 質問
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解決
福澤諭吉の「諭吉」の名前は、諭吉が生まれた日に、父親が手に入れた本からつけられたと聞いた。その本はなんという本か。
- 回答
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福澤諭吉が誕生した日に、父・百助が手に入れたのは、漢籍の『上諭条例』という本です。
次の資料に記載があります。
■『福沢諭吉著作集 第12巻 福翁自伝 福沢全集緒言』(福沢諭吉/著 慶応義塾大学出版会 2003.11)
収録されている『福翁自伝』の「大阪修行 四十両の借金 家財を売る」(p.57-59)に次の記載があります。
「私の父は学者であったから、藩中では中々蔵書を持て居る。凡そ冊数にして千五百冊ばかりもあって、中には随分世間に類の少ない本もある。例えば私の名を諭吉と云うその諭の字は天保五年十二月十二日の夜、私が誕生したその日に、父が多年所望して居た明律の上諭条例と云う全部六、七十冊ばかりの唐本を買取て、大造喜んで居る処に、その夜男子が出生して重ね重ね[図書館注:原文は繰り返し符号]の喜びと云う所から、その上諭の諭の字を取て私の名にしたと母から聞いたことがある位で(以下略)」(p.57)
■『福澤諭吉事典 慶応義塾150年史資料集』(福沢諭吉事典編集委員会/編集 慶応義塾 2010.12)
「命名」の項(p.12-13)に次の記載があります。
「福沢諭吉の名は、中国の古典籍に由来する。父百助が長年望んでいた『上諭条例』という本を入手できたその日に男子が出生したことを喜び、その書名から一字をとって名づけられた。」(p.12)
■『国史大辞典 12 ふ-ほ』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1991.6)
「福澤諭吉」の項(p.73-74)に次の記載があります。
「諭吉の名は、十三石二人扶持の軽格ながら学問好きの百助が、長年望んでいた唐本の『上諭条例』を、当日入手したのにちなむ。生涯ほぼこの幼名で通す。」(p.73)
■『考証福沢諭吉 上』(富田正文/著 岩波書店 1992.6)
「三 祖父・父母・兄姉のこと 漢学者としての福澤百助」(p.25-27)に次の記載があります。
「諭吉が生まれたとき、百助は多年渇望していた『上諭條例』という六十四冊の漢籍を手に入れて喜んでいるところに、男児出生と聞いて、その書名の一字をとって諭吉と名づけたという。」(p.26)
■『福沢諭吉伝 第1巻』(石河幹明/著 岩波書店 1932)
「第一編 先生の誕生 第三 先生の誕生地」(p.18-25)
「先生の生るゝや父は諭吉と命名した。父の百助といひ兄の三之助といひ世間普通の名であるが、先生の名にはどうして諭といふような一寸変つた字を選んだかといふに、百助は漢学者で、常に書籍の蒐集に努め、蔵書凡そ千五百冊の多きに及び、中には随分希有の珍書も少なくなかつた。丁度先生誕生の当日は、多年渇望してゐた明律の『上諭條例』といふ全部六七十冊ばかりの唐本が手に入つて大いに喜んでゐたところ、其夜男の子が生れたので、上諭の諭の字を取つて名附けたといふことである」(p.18)
●慶應義塾大学出版会ホームページ(2022/1/28現在)
日朝秀宜「福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉 ~慶應義塾大学出版会のルーツを探る~ 第1回:「福沢屋諭吉」誕生す!!」
https://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/fukuzawaya/1.html
ウェブのみの記事になります。
「『上諭条例』から一字をとって『諭吉』と命名した。」とあります。
〔事例作成日:2022年1月28日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
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- 福沢諭吉著作集 第12巻 福沢/諭吉∥著 慶応義塾大学出版会 2003.11 (57)
- 福澤諭吉事典 福沢諭吉事典編集委員会∥編集 慶応義塾 2010.12 (12)
- 国史大辞典 12 国史大辞典編集委員会∥編 吉川弘文館 1991.6 (73)
- 考証福沢諭吉 下 富田/正文∥著 岩波書店 1992.9 (26)
- 福沢諭吉伝 第1巻 石河/幹明∥著 岩波書店 1932 (18)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 業務
- 登録番号
- 1000311978