レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/02/19
- 登録日時
- 2021/03/17 00:30
- 更新日時
- 2021/03/17 00:30
- 管理番号
- 6001048850
- 質問
-
解決
明治期に新聞小説を書いていたという「岡田翠雨」という人物について知りたい。
- 回答
-
「岡田翠雨」という人物については、次の資料に記載があった。
■『近代人物号筆名辞典』(近代人物研究会/編 柏書房 1979.10)
「号・筆名索引」で「翠」を引き(p.177)、「翠雨」の号を持つ人物を確認すると、「岡田茂馬」、「小野田翠雨」、「日下部鳴鶴」の3名が記載されているのがわかる。(p.280)
このうち「岡田」姓の「岡田茂馬」の項を確認すると、次の記載がある(p.37)。
「岡田茂馬 おかだしげま 一八六四~一九三五<新聞記者> (1)翠雨」
「(1)」は「号(雅号・俳号等)、筆名、別名、通称等」を指すと凡例にある。
■『大阪人名資料事典 第1巻 関西人名資料シリーズ 大阪現代人名辞書』(日本図書センター 2003.5)
文明社 大正2年刊「大阪現代人名辞書」の復刻。
p.279に「岡田繁馬君(新聞記者)」の項があり、次の記述がある。
「岡田繁馬君(新聞記者) 君は伊予の人、元治元年[1864]二月十一日を以て伊予国北宇和郡宇和島に生る。(中略)号を翠雨と称し大阪朝日新聞記者なり。(中略)明治十五年来阪し(中略)明治二十二年東京改進新聞に入り須藤南翠に師事す明治二十六年東京朝日新聞に入り、明治三十二年大阪朝日新聞社に転じ社会部に属し専ら角力及浄瑠璃界の記事を担任しき。(後略)」
上述の『近代人物号筆名辞典』の記述と、名の表記(繁馬、茂馬)が異なるが、生年の記述は同じであり、同一人物を指しているものと思われる。
また、次の資料にも名前の記載があり、岡田翠雨が東京朝日新聞の「第三面の艶種雑報」欄に記事を書いていたようであることが分かる。
■『森銑三著作集 続編 第5巻』(森銑三/著 中央公論社 1993.6)
「饗庭篁村」と題した文章(p.224-271)中で、『朝日新聞』明治25年12月15日に掲載された篁村の「須藤南翠氏の入社を祝す」と題した記事を引用している。その中に次の記述がある。
「第三面の艶種雑報受持の人々に泣き付き、我手に合ふべき野暮種を搔き集め、大野暮りに野暮らんとすれば、イヤイヤ此場は一寸も貸されぬ。此は大事の我々が田地なりと、若菜貞爾、右田寅彦、岡田翠雨、根本凌波の諸氏、肱を張つて通せん坊をなし、(後略)」(p.248)
■『森銑三著作集 続編 第11巻』(森銑三/著 中央公論社 1994.6)
「明治の新聞から」(p.398-419)の「篁村の一文」(p.418)との見出しの文章において、「二十五年十二月十五日の『東京朝日新聞』に、饗庭篁村が『須藤南翠氏の入社を祝す』といふ一文を書いてゐる。」として上述の記事を取り上げている。
朝日の小説欄の陣容が充実していたため、「篁村はなほそれについで、だから僕などは、なかなか書かしては貰はれない。それで三面の艶種記事でもと思ふと、こちらには若菜貞爾、右田寅彦、岡田翠雨、根本凌波の諸氏が肱を張つて、通せん坊をする。(後略)」(p.418)
[事例作成日:2021年2月19日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (281 10版)
- 参考資料
-
- 近代人物号筆名辞典 近代人物研究会∥編 柏書房 1979.10 (37)
- 大阪人名資料事典 第1巻 日本図書センター 2003.5 (279)
- 森銑三著作集 続編 第5巻 森/銑三∥著 中央公論社 1993.6 (248)
- 森銑三著作集 続編 第11巻 森/銑三∥著 中央公論社 1994.6 (418)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000295307