レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20070930
- 登録日時
- 2007/11/09 02:11
- 更新日時
- 2010/06/19 12:51
- 管理番号
- 秋田-0846
- 質問
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①「白鳥、芦花に入る」という言葉の出典とその意味。②北秋田市(元・森吉町)の米内沢は、過去町制が敷かれていたか、また米内沢の中に「本城」という集落があったか。③北秋田市の合川地区が合川町だった時代、下小阿仁村が併合したがその時期はいつか。④青森県八戸市の大正期・昭和初期にあった女学校が知りたい。
- 回答
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①「白鳥、芦花に入る」の初出は下村湖人の小説「次郎物語」第三部。白い芦原に白い鳥が舞いこんでも姿はまぎれて見えないが、その羽風によって静かだった芦原がそよぎ出す様を、例え名が出ずとも研鑽を積み、善行を行うことの美しさになぞらえている。なお元来は禅宗の教典『碧巌録』の「白馬入芦花」で、白馬を白鳥としたのは下村湖人による改変である。
②『角川日本地名大辞典5秋田県』の米内沢町の項に明治35年~昭和31年に自治体としてあったという記述があり。同資料により「本城」は明治22年~現在まで大字としてあり。それ以前は「本城村」として江戸期より存在した。
③『日本歴史地名大系5秋田県の地名』に「明治22年(1889)成立の大野村は同25年上大野村・下大野村に分れ、同22年成立の落合村・下小阿仁村と昭和30年(1955)合併して合川町となる。」という記述があり。
④『青森県百科事典』の「女学校」の項に県立第二高等女学校(八戸東高校、1901年)と八戸女塾(千葉学園高校、1910年)の2校の名があり。また『全国学校名鑑(昭和23年9月現在)』の青森県の項目に、上記2校以外に私立白菊高等学校の名があった。『青森県百科事典』では私立白菊高等学校は1931年(昭和6)5月9日創立という記述があり、以上の3校が該当すると思われる。なお、私立白菊高等学校は現在八戸聖ウルスラ学院高等学校に改称している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (200 8版)
- 参考資料
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- 『次郎物語』(三部)下村湖人/著 ポプラ社 1971(913J/ポジ/5)
- 『禅語辞典』入矢義高/監修 思文閣出版 1991(R188.8/コゼ)
- 『茶席の禅語大辞典』有馬賴底/監修 淡交社 2002(R188.8/アチ)
- 『角川日本地名大辞典5 秋田県』角川書店 1980(R291.0/カカ/5)
- 『日本歴史地名大系5 秋田県の地名』平凡社 1980(R291.0/ヘニ/5)
- 『全国学校名鑑(昭和23年9月現在)』日教組調査部/編 文化研究社 1949(370/14)
- 『青森県百科事典』東奥日報社 1981(R291.2/トア)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 一般
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000039102