レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 令和5年4月29日
- 登録日時
- 2023/08/25 14:22
- 更新日時
- 2023/09/03 15:17
- 管理番号
- 2023-0002
- 質問
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解決
山形県内の太政官布達公園について調べている。三島通庸が関わり整備したという薬師公園について、開設前後の記録や図面などがあればみたい。
- 回答
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薬師公園については、名称が複数あり移転もしていることから公園の経緯について調査を行ったところ以下の資料に記載があった。
○薬師公園について
資料1「新版山形県大百科事典」(P673)「薬師公園」の項目には以下の通り記載あり。
「山形市街地北東部、馬見ヶ崎川河畔に隣接する都市計画公園(地区公園)。山形市で最も古い公園で、1884年(明治17)初代県令三島通庸が現在の山形東高校の敷地を中心に造成した千歳園を移転して開設し、千歳公園あるいは第一公園といわれた。(中略)一時期馬見ヶ崎公園と呼ばれたこともある。」
○千歳園について
資料1「新版山形県大百科事典」(P446)「千歳園」の項目には以下のとおり記載あり。
「三島通庸県令の県都整備の一環として千歳山の西南山麓に偕楽園を造ったが、町から離れており、あまり利用されなかったので、1879年(明治12)馬見ヶ崎河原の荒地で薬師堂と三嶋神社との間に、19万2390平方メートルの新公園を建設した。(中略)千歳園と名付けた。園内の一部を産業試験場とし、(中略)また、園内に水力機織所を設置し(中略)1884年(明治17)現在の薬師公園の地に移転し、千歳公園といわれた。」
そのほか、資料2『山形市史下巻』P163、P672~673や資料3『山形県史 資料篇 2 明治初期 下 三島文書』P457~458、624、資料4『山形県議会八十年史』P170~171にも千歳園について記述があったが図面が掲載された資料はなかった。
上記資料と異なる公園名称の資料も以下にあり。
資料5「写真集明治・大正・昭和 山形」では、「初代県令三島通庸は山形を県都とし、東郊千歳山の麓に公園を作り「千歳公園」と称したが、市街地より遠過ぎたため、二代県令折田平内は明治十七年に市北郊の馬見ヶ崎河畔、国分寺遺跡と伝えられる薬師堂の境内に築山、池を造って「千歳公園」を移した。」
また、同資料には、明治初年の画家が写生した「薬師河原より千歳山を望む」や、千歳公園の噴水、あづまや、松並木の雪景(いずれも年代不明)の写真が掲載されている。
○最初に公園として指定された場所について
資料6『山形県政六十年史』P132~133「山形の公園經營」の項目に、「假令公園の名が無かったとするも以前からあったもので、(中略)明治維新で西洋文明が浸透するに於て、特に公園の名称起り、山形にも三島県令赴任以前既に千歳山西麓元大仏殿跡を公園として利用したのであつた。」との記述あり。
また、資料7『やまがたの歴史』P263~264には「千歳山の西南麓、かつて大仏殿のあった場所(現在千歳山公園)が偕楽園と名付けられ、」とあり、現在は千歳山公園という名称の公園であることがわかる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 山形放送株式会社編 , 山形放送株式会社. 山形県大百科事典 新版. 山形放送, 1993.
- 山形市市史編さん委員会, 山形市市史編集委員会 編 , 山形市. 山形市史 下巻 (近代編). 山形市, 1975.
- 山形県史編さん委員 編 , 山形県. 山形県史 資料篇 第2 (明治初期 下 三島文書). 巌南堂書店, 1962.
- 山形県議会八十年史編纂委員会 編. 山形県議会八十年史 第1 (明治篇). 山形県議会, 1961.
- 後藤嘉一編 , 後藤, 嘉一. 写真集明治大正昭和山形. 国書刊行会, 1979. (ふるさとの想い出, 25)
- 川崎浩良, 橋詰達雄共編 , 川崎, 浩良 , 橋詰, 達雄. 山形市政六十年史. 山形市制六十周年記念事業委員会, 1951.
- 山形市市史編さん委員会, 山形市市史編集委員会 編 , 山形市. やまがたの歴史. 山形市, 1980.
- キーワード
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- 薬師公園
- 千歳園
- 太政官布達公園
- 千歳公園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000337555