レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2020/04/16 17:31
- 更新日時
- 2020/05/25 19:20
- 管理番号
- 2017-0010
- 質問
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解決
山形市内に終戦後から昭和49年頃まで、七日町、桜町霞城公園前、第二公園、護国神社前、旧湯殿山神社参道5ヶ所にあった「マーケット」についての文書・新聞記事・図書等の資料をみたい。
- 回答
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〇山形新聞記事データベース(※)により検索をしたところ、2015(平成27)年8月12日~15日に「戦後の山形 私とマーケット 1~4」の特集記事がありました。記事の内容は、山形市の七日町、雁島公園前、第二公園など5カ所にできたマーケット(闇市)について、そこに暮らし関わった人たちに聞いた話で、マーケット街の写真や住宅詳細図等も掲載されています。
※山形新聞記事データベースは1999年12月20日以降の記事について検索が可能です。
・2015(平成27)年8月12日朝刊(11面)「戦後の山形 私とマーケット1」
・2015(平成27)年8月13日朝刊(13面)「戦後の山形 私とマーケット2」
・2015(平成27)年8月14日朝刊(11面)「戦後の山形 私とマーケット3」
・2015(平成27)年8月15日朝刊(13面)「戦後の山形 私とマーケット4」
上記新聞記事に、1968(昭和43)年10月には市内にあったマーケット5カ所全てが取り壊されたとの記載がありましたので、山形新聞の1968(昭和43)年9月及び10月の新聞記事をお調べしたところ、以下の記事がありました。
1968(昭和43)年9月16日 夕刊(4面) 「再マーケット化防ぐ 第二公園の跡地を売却」
1968(昭和43)年10月8日 夕刊(1面) 「気炎 マーケット」
1968(昭和43)年10月9日 夕刊(4面) 「姿を消したマーケット 跡地の整備急ぐ」
〇山形市内の昭和時代の写真集をお調べしました。
資料1『写真集 やまがた100年』(山形新聞社編)に、「七日町角の広場(昭和25年)」の写真があり、「戦後、この広場はヤミ市や大道市が開かれ、市民の集まるところとなった」との記載があります。(P43)
〇マーケット移転の経緯について
昭和35年から昭和43年までの山形市議会に提出されたマーケット移転に関する請願や陳情、一般質問等が資料2『山形市議会史 第四巻』資料3『山形市議会史 第五巻』資料4『山形市議会史 第六巻』に記載されています。
資料3には、「マーケット移転の経過」について説明があり、内容は以下のとおりとなっています。(P119~128)
(1)マーケット整備対策委員会の発足 (2)開かれざる委員会 (3)移転用地の買収に着手 (4)マーケットの集団移転に地元が反対 (5)当局、具体的な進展に努力 (6)第一次マーケット整備対策実施要綱に基づき、折衝を開始 (7)”集約移転”の方針を転換 (8)補償費移転方式で円満解決
移転補償金や建物の取りこわし等について定めた「山形市マーケット整備対策実施要綱」も記載されています。
資料4 昭和43年の概観によると「最終的には補償移転で昭和四十三年十月五日には全マーケットの撤去が完了する」とあります。(P295)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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山形新聞社/編 , 山形新聞社. 写真集 やまがた100年. 山形新聞社, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I014360553-00 -
山形市議会. 山形市議会史 第4巻. 山形市議会, 1975.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001202115-00 -
山形市議会. 山形市議会史 第5巻. 山形市議会, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001403753-00 -
山形市議会. 山形市議会史 第6巻. 山形市議会, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002161352-00
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山形新聞社/編 , 山形新聞社. 写真集 やまがた100年. 山形新聞社, 1988.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000280677