レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2019/03/27 10:11
- 更新日時
- 2019/05/16 15:44
- 管理番号
- 2018-0002
- 質問
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解決
北山形の奥羽線沿いに鳥海月山両所宮がありますが、何年にできたのか、なぜ両所宮の銘々なのかを知りたい。
- 回答
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資料1『山形縣神社誌』の鳥海月山両所宮 に
「縁起書(寛延元年十一月十一日、渾成舎雄淵書)によると、康平年間、鎮守府将軍源頼義、その子義家が勅命により奥州平定に下った時、飽海郡吹浦の両所神社(現鳥海山大物忌神社)に戦勝を祈願、凱旋の折、康平六年正月十八日神恩に酬いる為当地に勧請、創建し社領一万石を寄進したとある。」
との記載があり、山形市の鳥海月山両所宮は、遊佐町の鳥海山大物忌神社に由来しているようです。
資料2『鳥海月山両所宮』(リーフレット)の由緒・沿革に、上記がそのまま記載されています。
資料3『山形市史 上巻 原始・古代・中世編』第三章 古代社会の展開 第二節 開拓の進展 3俘囚国家と集落 開戦と終末 に
「康平六年(1063)正月十八日、前陸奥守源頼義が、誓を守り、金井荘最上郷山形の地に、鳥海月山両所神社を創建し、戦捷を告げたという。それは『両所大権現縁起』によったものであり、他に所見がないし、文章は『陸奥話記』を忠実に採っているので、(以下略)」と記載があり、
資料4『山形鳥海月山両所宮の成立について-お宮さま曼荼羅-』の 五、山形鳥海月山両所宮の成立について には、資料3の上記部分が引用されています。
さらに「山形の「大物忌月山両所神社」が「鳥海月山両所宮」と称されるようになったのも、おそらく近世からで、明和六年(一七六九)に書かれた『山形風流松の木枕』には「鳥海月山両所宮」と記されている。」とあります。
以下の資料に、同様の記載がありますので、参考までに紹介します。
資料5『山形市史 中巻 近世編』第五章 近世における文化と生活 第二節 宗教の盛衰 1神社の崇敬 (1)山形の神社 鳥海月山両所宮
資料6『山形市史編集資料 第16号』には
「【資料】両所宮社中相続記 両所宮祭式年中之行事記 付関連資料」が復刻されており、「両所宮社中相続記」に、「(略)社号ハ大惣忌ノ神社、宮号ハ鳥海月山両所宮」との記載があります。
資料7『山形市史編集資料 第33号』には
「【資料】乩補出羽国風土略記 巻十(上・中)」が復刻されており、「乩補出羽国風土略記巻之拾上」に「一、両所宮(以下略)」の記載があります。
なお、資料8『神道大系 神社編二十八 出羽國』の「第ニ 地域別資料 (村山・最上) 一 山形市」に、「兩所宮史料 兩所宮社中相続記(抄録) 明和六年三月吉日」が収録されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 資料1『山形縣神社誌』,山形県神社庁/編,2000.4(K175.9/ヤマ)
- 資料2『鳥海月山両所宮』[鳥海月山両所宮](K175/チヨ)
- 資料3『山形市史 上巻 原始・古代・中世編』山形市/編,1973.3(K264.1/ヤマ)
- 資料4『山形鳥海月山両所宮の成立について-お宮さま曼荼羅-』安彦好重/著(YK175.9/アビ)
- 資料5『山形市史 中巻 近世編』山形市/編 1973.3(K264.1/ヤマ)
- 資料6『山形市史編集資料 第16号』山形市史編集委員会/編 1969.7(YK264.1/ヤマ)
- 資料7『山形市史編集資料 第33号』山形市史編集委員会/編 1973.12(YK264.1/ヤマ)
- 資料8『神道大系 神社編二十八 出羽國』神道大系編纂会/編 1990.3(YK175.9/シン)
- 資料9『山形市神社誌』山形市神社総代会/編 1972.12(K175.9/ヤマ)
- キーワード
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- 鳥海月山両所宮
- 源頼義
- 鳥海山大物忌神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000254018