レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/12/06
- 登録日時
- 2024/01/20 00:30
- 更新日時
- 2024/01/20 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-230198
- 質問
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解決
第二次世界大戦中に、仙台から満洲開拓団として渡った「仙台村」について、以下の情報が記載されている資料を探している。
・仙台村の位置(特に鉄道との位置関係がわかるもの)
・開拓団民の職業・家族構成・背景
・開拓団民の帰国状況(終戦後比較的すぐに帰国を果たした者、残留孤児となり日中国交正常化後に帰国した者の両方)
- 回答
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1 当館所蔵の下記資料に記載がありました。※【 】内は当館請求記号です。
資料1 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』通史編7, 仙台市, 2009年【K225/セ1-13/7】
pp.381-382「第九章 恐慌と産業経済」-「第二節 農業恐慌とその影響」-「三 農業恐慌の対策」-「満州移民」の項
「一九四二年(昭和一七)には、「仙台開拓団」として入植した人びとがハルビンに近い浜江省五常県沙河子地区に「仙台村」を建設している。仙台村を作った人びとは、団員一〇七名、家族三〇八名、合計四一五名であったと『仙台市公報』には報じられている。仙台村の入植者は、団員のうち一〇名だけが農家で、その他は戦時の物資統制下で家業を失った中小の商工業経営者や手工業者たちであった。(後略)」
また、 p.382に「「仙台開拓団」が建設した「仙台村」の平面略図」が掲載されています。(簡略ではありますが、鉄道も描かれています。)
資料2 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』特別編4, 仙台市, 1997年【K225/セ1-13/25A】
p.317「第6章 師団と戦後」-「6 総戦力のもとで」-「「満州」仙台村」の項
「(前略)仙台開拓団は一九四二年(昭和一七)三月に結成された。(中略)一〇七戸四一五人が入植し仙台村を形成している。同年九月には開拓団内で九組が結婚、一三人が出生したとあるが、戸数一一〇戸、四二一人とされている。(中略)開拓団は仙台市内の中小商工業者の転業・廃業者を中心とするものであった。(中略)最終的に約二百五十戸、千人が入植し、帰国できたのは二〇九人にすぎなかったといわれる(『仙台市史続編』第一巻)。」と記載があります。
資料3 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』6, 宮城県史刊行会, 1960年【K201/ミ1/6】
pp.47-50「厚生事業史」-「厚生事業の戦時転換期」-「満洲開拓団及び青少年義勇軍」の項
p.47「(前略)また仙台市その他に於ては、中小商工業者の転廃業した人々が満洲大陸開拓団を編成して渡満する者が多くなつた。更に、満洲開拓青少年義勇軍として適齢前の青少年の渡満熱も盛んとなり、多数の青少年が勇躍渡満の途についた。(後略)」
p.49「満洲開拓団ならびに義勇軍入植調(宮城県世話課調査による)」の項
「第十一次砂河子仙台開拓団 入植団員 一四六[人] 、終戦時に於ける人員(家族を含む) 六八三[人]」と記載があります。
資料4 大泉利治[ほか]著『あの雲に乗って帰りたい : 仙台村開拓団の記録』あづま書房, 1981年【K960/ア3】
仙台村開拓団副団長の大泉利治氏によって、団員やその家族の状況が詳細にまとめられた資料です。
開拓団員の引揚者や、残留婦人・孤児の手記が掲載されています。
資料5 鈴木文男編著『宮城県開拓団の記録』あづま書房, 1977年【K611/ス2】
pp.123-135「転業開拓団仙台村の惨劇」の項
仙台村在満国民教頭 大泉利治氏の手記より抜粋されたものです。
pp.227-254「幼女宣子さんの三十年」の項
終戦後、残留孤児となり日中国交回復後に帰国した方に関する記述です。
p.256「宮城県送出開拓団・義勇隊一覧表」-「沙河子仙台」の項
「在団人口 657[人] 引揚者 396[人]」と記述されています。
資料6 石沢友隆著『流行歌「ミス・仙台」 : 郷土・仙台の近現代史散歩』河北新報出版センター, 2005年【K225/2005.Y】
pp.254-258「仙台万華鏡」-「満州に仙台村があった」の項
p.254「(前略)仙台市開拓団がよそと違うのは、戦争による経済統制で仕事がなくなった中小商工業の転廃業者が中心であったことである。名簿には穀町、青果小売り商熱海之(三十七歳)、本櫓丁、食堂業酒井巳之助(三十二歳)、牛小屋丁、菓子工員須藤亀国(五十四歳)などとある。それに仙台近郊に住んでいた農家の二、三男が加わった。(後略)」と記載があります。
p.258「(前略)仙台村にはどのくらいの入植者がいて、帰国者は何人だったのか。はっきりした数字は分からない。(後略)」と記載があります。
資料7 『調査報告書』仙台市歴史民俗資料館【PK380/セ】
(1)22集(2004年3月)
pp.45-67 安孫子麟「満州移民と日本の農村」
p.67「資料Ⅶ 宮城県送出開拓民数」-「集団・集合開拓団」-「第十一次仙台開拓団」の項に、「渡満団員数 一四六[人] 家族数 三三一[人]」と記述されています。
(2)27集 (2009年3月)
pp.242-258 安孫子麟「関東軍・満洲開拓団と宮城の農村」
p.252「(前略)仙台市は農家からではなくて、転業開拓団といって、別な職業についていた人が、戦争が激しくなってきて、「お前のような商売は要らない」と、例えばバーとかキャバレーは全部閉鎖されちゃったとか、そういう戦争で不要不急の職業はやめさせられて転業していきました。(後略)」と記述されています。
資料8 宮城県議会史編さん委員会編『宮城県議会史』第4巻, 宮城県議会, 1979年【K318/ミ15/4】
pp.278-279「開拓団別渡満団員数および家族数(昭和二十年八月末現在)」の項
資料7(1)と同様の記述内容です。
資料9 宮城県海外協会[編]『海外移住に牽かれた人々』宮城県, 1969年【K334/ミ1】
pp.74-79「第一 海外移住の百年」-「15 満州移民時代」の項
仙台で満州開拓団を募集した経緯について記載があります。
pp.80-86「第一 海外移住の百年」-「16 全国で始めての神前合同結婚式」 ※原文ママです。
p.84「(前略)そこで仙台市では、県と協議してこれら転、廃業者の中から二六人を選び、昭和一七年四月、仙台開拓団先遣隊として北満州砂河子に送り、翌五月には本隊一二〇人を送出した。(後略)」
p.86「第11次砂河子仙台開拓団 入植人員 146[人] 終戦時における人員 683[人]」と記載があります。
資料10 満州開拓史刊行委員会編『満洲開拓史』[増補版]. 全国拓友協議会, 1980年【611.2/マ3】
p.655「五常県一覧表」-「団一一 沙河子仙台」の項に、「在籍者 六五七[人] 死亡者 二五三[人] 未帰還者 二六[人] 帰還者 三九六[人]」と記述されています。
2 下記資料を確認しましたが、お問い合わせの件に関する記述はありませんでした。
資料11 佐藤あつ子著『ああ満州 : 開拓女教師の手記』あづま書房, 1978年【K960/サ2】
資料12 宮城農学寮創立四十五周年記念事業実行委員会編『宮城農学寮記念誌』宮城農学寮創立四十五周年記念事業実行委員会, 1980年【K610/ミ8】
資料13 仙台市「宮城町誌」改訂編纂委員会編『宮城町誌』本編, 改訂版. 仙台市役所, 1988年【K225.1/ミ1-2/2】
資料14 仙台市「宮城町誌」改訂編さん委員会編『宮城町誌』続編, 仙台市役所, 1989年【K225.1/ミ1-2/3】
- 回答プロセス
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1 「仙台村」について、宮城県や仙台市の歴史に関する資料を確認した。
2 「仙台村」や「満洲開拓」等のキーワードで資料検索し、関連する記述があるかを確認した。
- 事前調査事項
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利用者が参照した資料は下記のとおり。
・『ああ・・・満州仙台村 -仙台村開拓団員物語-』せんだいメディアテーク
せんだい教材映像アーカイブ
URL https://www.smt.jp/library/teaching/archives/d16027.html (最終アクセス日 : 2023/12/27)
・我孫子麟「戦時下の満州移民と日本の農村」『村落社会研究会』(5巻1号), pp.1-8, 日本村落研究学会, 1998年
p.5「(前略)仙台市で編成された仙台村開拓団は、県職業調整課と仙台市が指導し、団長は県職員、団員の大半は自営商工業者であった。(後略)」
URL https://www.jstage.jst.go.jp/article/jrs/5/1/5_1/_article/-char/ja/ (最終アクセス日 : 2023/12/27)
また、満蒙開拓平和記念館館長のブログ「テラサワ日誌」2014年03月22日の記事に、仙台村についての言及があることを確認している。
URL http://manmoukinenkan.blog.fc2.com/blog-entry-25.html (最終アクセス日 : 2023/12/27)
- NDC
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- 人口.土地.資源 (334 9版)
- 参考資料
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- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編7. 仙台市, 2009.7【K225/セ1-13/7】:
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 特別編4. 仙台市, 1997.3【K225/セ1-13/25A】:
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 6. 宮城県史刊行会, 1960【K201/ミ1/6】:
- 大泉 利治[ほか]/著. あの雲に乗って帰りたい. あづま書房, 1981【K960/ア3】:
- 鈴木 文男/編著. 宮城県開拓団の記録. あづま書房, 1977【K611/ス2】:
- 石沢/友隆∥著. 流行歌「ミス・仙台」. 河北新報出版センター, 2005.11【K225/2005.Y】:
- 仙台市歴史民俗資料館. 調査報告書 22集(2004.3). 仙台市歴史民俗資料館, 2004.3【PK380/セ】:
- 仙台市歴史民俗資料館. 調査報告書 27集 (2009.3). 仙台市歴史民俗資料館, 2009.3【PK380/セ】:
- 宮城県議会史編さん委員会/編. 宮城県議会史 第4巻. 宮城県議会, 1979【K318/ミ15/4】:
- 宮城県海外協会/[編]. 海外移住に牽かれた人々. 宮城県, 1969.12【K334/ミ1】:
- 満州開拓史刊行委員会/編. 満洲開拓史. 全国拓友協議会, 1980.8【611.2/マ3】:
- 佐藤 あつ子/著. ああ満州. あづま書房, 1978【K960/サ2】:
- 宮城農学寮創立四十五周年記念事業実行委員会/編. 宮城農学寮記念誌. 宮城農学寮創立四十五周年記念事業実行委員会, 1980.3【K610/ミ8】:
- 仙台市「宮城町誌」改訂編纂委員会/編. 宮城町誌 本編 改訂版. 仙台市役所, 1988.3【K225.1/ミ1-2/2】:
- 仙台市「宮城町誌」改訂編さん委員会/編. 宮城町誌 続編. 仙台市役所, 1989.12【K225.1/ミ1-2/3】:
- キーワード
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- 移民・植民 (仙台市) -- 満州
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000344967