レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月01日
- 登録日時
- 2021/12/21 16:40
- 更新日時
- 2021/12/26 16:04
- 管理番号
- 市川20211001-1
- 質問
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解決
千葉県市川市の「中山」という地名は正中山法華経寺に由来するのか。また、「正中山(しょうちゅうざん)」の語源は仏教用語か。
- 回答
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「中山」の地名について以下の資料に記述があった。
・『市川市の町名』(市川市教育委員会 1987)
p.8「中山」の項 「地名の由来は正中山法華経寺の山号からとったものと伝説では伝えていますが、東胤頼(とう たねより)(千葉氏中興の祖、千葉常胤(ちば つねたね)の六男)が源頼朝に献じた歌の題に中山の地名があって、法華経寺ができる前にはすでにあった地名のようです。」
・『千葉県の地名』(平凡社 1996)
p.221「中山村」の項 「中世には八幡庄谷中郷のうち。正和三年(1314)法華経寺二代目貫首日高(にちこう)は三代目日祐(にちゆう)に「中山坊」を譲渡した、同年四月二六日の日高置文には「中山釈迦仏聖教」「北方堂中山本尊」などとみえる。元応二年(1320)十二月一日千葉胤貞(ちば たねさだ)は日祐に「八幡庄谷中郷中山堂地幷田地弐町・在家屋敷」を譲っている。これらにみえる中山坊、中山、中山堂は法華経寺の前身である本妙寺のことと思われ(後略)」
p.221~222「法華経寺」の項 「日蓮の檀越富木常忍(とき じょうにん)(日常(にちじょう))が出家して邸を寺にした法華寺と、同じく日蓮に帰依した大田乗明(おおた じょうみょう)(妙日、左衛門尉・金吾)邸跡に建てられた。本妙寺は当初両寺一主制をとっていたが、のちに合体して一ヵ寺となり、当寺が成立した。」「なお両寺が合体して中山法華経寺を名乗る(当初は妙連山を号した)のは天文十四年(1545)以降のことといわれている。」
・『角川日本地名大辞典12 千葉県』(KADOKAWA 2009)
p.633「中山」の項 「中山法華経寺蔵の多宝如来坐像建武2年(1335)3月6日付銘文に「下総国谷中郷中山本妙寺」至徳元年(1384)9月日付日尊申状に「八幡庄内本妙寺 号中山堂」とあるように、中山堂のちに本妙寺と呼ばれ天文年間に若宮戸村の法華経寺と合して現在の中山法華経寺となったとされる。」
・『大本山法華経寺 奉迎初祖日常聖人第七百遠忌』(中山法華経寺 1993)
p.5「若宮・富木殿の法華経寺、中山・太田殿の本妙寺は、のちに両寺を合わせて正中山法華経寺になりました。」
これらの記述をみると、法華経寺ができる以前から「中山」という名称は存在し、山号が妙連山から正中山に変わり正中山法華経寺、一般に中山法華経寺と呼ばれるようになったのではないかと推測される。「正中山」の語源については『佛教語大辞典』(中村元/著 東京書籍 1981)等を確認したが「正中山」という言葉の収録はなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000309369