レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年03月08日
- 登録日時
- 2020/03/29 10:12
- 更新日時
- 2023/09/22 13:04
- 管理番号
- 一般12
- 質問
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解決
弥生時代から江戸時代までの衣服の変遷について知りたい。また、着物をなぜ右前で着るようになったのか、それはいつからなのかも知りたい。
- 回答
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以下の所蔵資料に記載あり。
イラスト・写真等掲載されたビジュアルが分かる資料
『日本服飾史 男性編』 井筒 雅風 著 光村推古書院 2015.4
『日本服飾史 女性編』 井筒 雅風 著 光村推古書院 2015.4
『ジュニア日本の歴史辞典』 歴史教育協議会 編 2005.12
『ビジュアル日本の服装の歴史 1・2・3』 増田 美子 編 2018.10
『有職装束大全』 八條 忠基 著 平凡社 2018.6
『新版日本史モノ事典』 平凡社 編・発行 2017.6 P.115 衣装の項に掲載あり
その他資料
『日本服飾史』 増田 美子 編 東京堂出版 2013.4
『日本衣服史』 増田 美子 編 吉川弘文館 2010.2
着物を右前で着ることになった由来がわかる資料
『陰陽五行でわかる日本のならわし』 長田 なお 著 淡交社 2018.12 P.23
『日本服飾史』 増田 美子 編 東京堂出版 2013.4 P.61
『日本衣服史』 増田 美子 編 吉川弘文館 2010.2 P.73
『有職装束大全』 八條 忠基 著 平凡社 2018.6 P.18.19
- 回答プロセス
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自館所蔵資料を探した。
着物を右前で着るようになったことについて
『陰陽五行でわかる日本のならわし』 P.23
約1300年前に元正天皇の「襟を右に令(せし)む」という詔(みことのり)により作法として決められたとある。理由としては死装束である経帷子(きょうかたびら)を着せる作法が左前であり縁起が悪いと忌み嫌われていたため、逆から着るよう定められたとのこと。右が縁起が良いとされるのは陰陽五行説によるものと記載されている。
『日本服飾史』 P.61
養老3年に「初めて、天下の百姓をして襟を右にせしむ」(『続日本紀』)とし襟の合わせ方を右に統一させた、とある。理由としては日本では古来左 を重んじており左前の方が多かったが、中国の風習にならい右前としたとある。
『日本衣服史』 P.73
養老3年、全国民の襟の合わせ目を右襟にするよう令がでたとある。中国では左前は蛮人の風俗として軽蔑していたとし、日本も中国に倣ったとしている。正倉院には左襟の衣服も残っており、右前の襟が浸透するまでには相当の年数を要したと記載あり。
『有職装束大全』 P.18.19
養老3年に導入されたとある。唐の国では夷狄の衣服が左襟であったのを嫌っていたため、遣唐使を派遣する関係で急いで改めたとある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 衣食住の習俗 (383)
- 日本史 (210)
- 参考資料
- キーワード
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- 服飾史
- 服飾
- 衣服
- 日本の歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 服飾
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000279770