レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年05月15日
- 登録日時
- 2019/05/15 13:59
- 更新日時
- 2023/09/22 12:51
- 管理番号
- 郷土11
- 質問
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解決
昭和20年、米軍による高松空襲で都市機能がマヒ状態となったときに、綾川町の滝宮病院に負傷者を運んだとのことだが、それがわかる資料はあるか。
- 回答
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当時の病院名は福家病院である。次の所蔵に記載あり。
『高松空襲戦災誌』 高松空襲戦災誌編集室/編 高松市役所 1983.3
P.345 戦災直後の市会協議会の議事録(昭和20年7月15日)に「負傷者ハ陶村ノ福家病院ニ大体収容サレテ居リマス。ソレハ約九十名余リ」との記載あり。
P.475 陶村の福家病院が戦災診療所(重症患者を長期間収容する施設)に指定されたとの記載あり。戦災診療所には重度の火傷・骨折などの患者が収容されたため、市内の医師や看護師が泊まり込んだり、遠方から通勤したりして救護活動に奉仕したとある。
P.476,477 善通寺陸軍病院より救護団が派遣され、綾歌郡陶村の福家病院などで治療に従事したことや、郡市医師会の綾歌郡支部の救護班が同じく福家病院で救護活動に当たったことが記されている。
『綾南町誌』 綾南町誌編纂委員会/編 綾南町 1998.3
P.403 「昭和20年7月4日より2、3日間陶福家病院にて救護活動が行われた」との記載あり。
- 回答プロセス
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滝宮病院の当時の病院名は福家病院であり館内所蔵資料中に記載がないか調べた。
町誌にもわずかな記載しかなく、高松空襲に関する記述を見ていると『高松空襲戦災誌』が度々でてきたので、その資料を調べた。
『高松空襲戦災誌』がどのような資料かは『香川県大百科事典』P.596に記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 四国地方 (218)
- 参考資料
- キーワード
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- 高松空襲
- 陶福家病院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人 団体
- 登録番号
- 1000256018