レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/01/21
- 登録日時
- 2020/02/04 00:30
- 更新日時
- 2020/02/20 16:46
- 管理番号
- 6982651
- 質問
-
解決
「国定書方教授指針/ 水谷亀三郎 著,岡元輔, 羽田貞義 閲(出版者 大阪:鍾美堂・出版年 明治43.1)」の著者である水谷亀三郎という人物の経歴について知りたい。
- 回答
-
下記の資料およびデータベースを確認しましたが、御照会の水谷亀三郎氏の経歴全体がわかる資料は見当たりませんでした。
『国定書方教授指針』に記載されている水谷亀三郎氏の肩書を元に資料1及び2、資料4の明治37年、39年および41年のものを確認したところ、水谷亀三郎氏の記載がありましたので御紹介します。
また、日本言語学会の会誌である資料3に水谷亀三郎氏の記載がありました。これを元に資料4の大正11年、15年および昭和13年のものを確認したところ、水谷亀三郎氏の記載がありました。それぞれ御照会の水谷亀三郎氏と同一人物であると断定できる情報は記載されていないため、参考までにお伝えします。
【 】内は当館請求記号です。末尾に「*」が付された資料は、国立国会図書館デジタルコレクションに収録されており、インターネット上で公開しています。末尾に「**」が付された資料は、国立国会図書館デジタルコレクションに収録されており、国立国会図書館及び図書館送信参加館内で公開しています。
インターネットの最終アクセス日は2020年1月17日です。
資料1
職員録. 明19-45年現在. 印刷局, 明19-45 【14.1-50】*
内閣印刷局編. 職員録. 印刷局, 大正2-6 【14.1-50】*
縣立前橋中學校に、水谷亀三郎氏が記載されています。例えば、明治38年(乙)はp.130(79コマ目)に助教諭として、大正2年(乙)はp.197(118コマ目、学校名はp.196(118コマ目)に記載)に教諭として記載されています(「兼群馬縣師範教諭」等の記載もあります。)。なお確認した範囲では、明治37年(乙)及び大正3年(乙)の縣立前橋中学校の項目には記載されていませんでした。
資料2
上野教育. 上野教育会事務所 【雑59-112】**
資料1と同様の情報が掲載されている号があります。例えば310号(大正2(1913)年8月)附録の「群馬縣學事關係職員錄」のp.5(46コマ目)には、前橋中學校の教諭(学校名はp.4(46コマ目)に記載。「兼群馬師範教諭」という記載もあります。)として水谷亀三郎氏が記載されています。また、315号(大正3(1914)年1月)のpp.107-115(67コマ目-71コマ目)に「叙任及辭令」が掲載されており、p.108(68コマ目)水谷亀三郎氏の退職に関する記載があります。
当該雑誌の継続前誌である『上野教育会雑誌』は当館に所蔵がないため、明治38(1905)年前後の情報は確認できませんでした。なお、群馬県立図書館蔵書検索( https://www1.library.pref.gunma.jp/winj/opac/search-detail.do?lang=ja )によると、第17号(1889年3月)以降の当該雑誌を所蔵しているようです。
資料3
日本言語学会編. 言語研究. (5) 日本言語学会, 1939 【Z12-71】
巻末に会員名簿が掲載されており、p.109に聖橋高等工業學校教諭として水谷亀三郎氏が記載されています。
なお、当館所蔵のものでこの次に会員名簿が掲載されていた15号(昭和25(1950)年)には、水谷亀三郎氏の記載は見当たりませんでした。
資料4
中等教育諸学校職員録. 明治37年版-昭12年(第34版) 中等教科書協会, 明37-昭和12 【259-103】*
中等教科書協会編. 実業学校職員録. 昭和13年5月現在(第35版) 中等教科書協会, 昭13 【259-740】*
明治39年10月現在のものには、「第二編 中学校」のp.32(102コマ目)に縣立前橋中學校の助教諭として水谷亀三郎氏が記載されており、教科は「習」と記載されています。明治41年10月現在のものには、「一〇 群馬県」のp.2(196コマ目)に縣立前橋中學校の教諭として水谷亀三郎氏が記載されており、教科は「習」と記載されています。それぞれの巻頭にある凡例のp.1(共に2コマ目)に、略語の凡例として「習字(習)」と記載されています。
大正15年(5月現在)のものにはp.134(139コマ目)の私立東京商工學校(甲)の項目(学校名はp.133(138コマ目))に、昭和13年5月現在(第35版)のものには、p.23(32コマ目)の同校から校名を変更した聖橋高等工學校の項目に、それぞれ「習 水谷亀三郎」という記載があります。
なお、明治37年版の縣立前橋中學校の項目及び大正11年(5月現在)の東京商工學校(甲)の項目には記載が見当たりませんでした。
【調査済み資料及びデータベース等】
・群馬縣尋常師範學校一覽. 群馬縣尋常師範學校, 1897 【特30-916】*
・群馬県職員録. 明治29年6月調,明治30年8月改正. 群馬県知事官房, 明29,30 【14.1-104】*
・上毛と京浜社編輯部編. 上毛紳士録. 上毛と京浜社, 大正2 【特112-422】*
・群馬県北甘楽郡教育会編. 群馬県北甘楽郡教育史. 群馬県北甘楽郡教育会, 大正8 【255.1-56】*
・上毛人物略誌. 第1輯. 群馬青年団, 大正8 【特108-691】*
・本多亀三. 群馬県北甘楽郡史. 三光出版社, 昭和3 【577-112】**
・加藤安雄. 富岡史編纂委員会編. 富岡史. 富岡市, 1955 【213.3-Ka681t】**
・教育人名辞典刊行会編. 教育人名辞典. 理想社, 1962 【370.35-Ky9942】**
・前橋高等学校校史編纂委員会編. 前橋高校八十七年史. 前橋高等学校, 1964 【376.4-M114m】**
・稲村徹元, 井門寛, 丸山信共編. 大正過去帳 : 物故人名辞典 東京美術, 1973 【GB13-30】
・編集:群馬県教育史研究編さん委員会. 群馬県教育史. 第2巻 (明治編 下巻). 群馬県教育委員会, 1973 【FB16-125】
・編集:群馬県教育史編さん委員会. 群馬県教育史. 第3巻 (大正編). 群馬県教育委員会, 1974 【FB16-125】
・群馬県教育史. 別巻(人物編) 群馬県教育委員会, 1981.3 【FB16-125】
・群馬県人名大事典. 上毛新聞社, 1982.11 【GB12-51】
・日外アソシエーツ株式会社編集. 昭和物故人名録 : 昭和元年~54年 日外アソシエーツ, 1983.7 【GB13-113】
・唐沢富太郎編著. 図説教育人物事典 : 日本教育史のなかの教育者群像 ぎょうせい, 1984.4-7 【F6-23】
・上毛新聞 上毛新聞ライブラリー. [縮刷版] [上毛新聞社], [2015] 【YH287-4】
・国立国会図書館オンライン( https://ndlonline.ndl.go.jp/ )
・国立国会図書館サーチ( https://iss.ndl.go.jp/ )
・国立国会図書館デジタルコレクション( https://dl.ndl.go.jp/ )
・CiNii Books( https://ci.nii.ac.jp/books/ )
・CiNii Articles( https://ci.nii.ac.jp/ )
・J-STAGE( https://www.jstage.jst.go.jp/ )
・国立公文書館デジタルアーカイブ( https://www.digital.archives.go.jp/ )
・国立公文書館アジア歴史資料センター蔵書検索( https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/default )
・群馬県立図書館( https://www.library.pref.gunma.jp/ )
・前橋市立図書館( https://www.city.maebashi.gunma.jp/library/ )
・聞蔵Ⅱビジュアル[当館契約データベース]
・毎索[当館契約データベース]
・ヨミダス歴史館[当館契約データベース]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
・契約データベース「ジャパンナレッジLib」、「ブリタニカ・オンライン・ジャパン」
・リサーチ・ナビ、国立国会図書館デジタルコレクション
・日本言語学会のホームページ
「会員研究発表会(昭和15年11月2日)」の発表者として水谷亀三郎(漢字の科学的研究)の名前あり
・東北大学大学院教育学研究科研究年報 第54集・第1号、清水禎文「明治期の群馬県における教育会の歴史的展開」
表3「「県官吏現員表」による師範学校教員及び県学務課員」の中にM39.1助教諭として名前あり
- NDC
-
- 教育史.事情 (372 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 水谷亀三郎
- 教諭
- 教員
- 縣立前橋中學校
- 聖橋高等工業學校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 経済社会(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵機関調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 大学図書館 図書館
- 登録番号
- 1000273485