「石灰山」の別名について、関連記述を確認することができませんでした。
ご参考までにお調べした資料をご紹介します。
・『栃木県大百科事典』(栃木県大百科事典刊行会/編、発行尾 1980)
p.213「葛生」の項に、「石灰山は1748年に発見され…(後略)…」とありますが、別名についての記載はありませんでした。
同様に巻頭写真、「葛生石灰」、「葛生層」、「葛生の石灰」の項も確認しましたが、記載は確認できませんでした。
・『目で見る足利・佐野・田沼・葛生の100年』(京谷博次,日下部高明/監修 郷土出版社 2005)
p.97「石灰山を背景にした出流原小学校(佐野市・昭和40年)という写真があります。別名の記述はありません。
・『葛生町誌』(葛生町誌編さん委員会/編 葛生町 1973)
p.259-479「第二章 鉱工業 第一節 石灰石・ドロマイト工業」の項があり、江戸時代からの葛生町における石灰業の生い立ちからの経過が概述されています。
p.886-896「第三章 地質」の項があり、葛生町にある各山の地質等の記述があります。
・『栃木市史 民俗編』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1979)
p.122-123「大久保町下根の日待」という項に、「昭和十四年当時の戸数三七戸、…(中略)…当時そのうちの二〇%ほどが鍋山の石灰山へ働きに行っていた。」と記述があります。
p.378-379「(一)石灰業」という項に、鍋山の石灰について記述があり、「…(前略)…昭和となっては、前期の田源・田政・岡田と木村福次郎・横倉幾十郎が石灰工場を経営している。」とあります。
以下の資料は、お調べしましたが情報を確認できませんでした。
・『安蘇郡誌』(江森泰吉/編 全国縮類共進会協賛会 1909)
・『思い出のアルバム 佐野・田沼・葛生』(あかぎ出版編集部/編、発行 1984)
・『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)』(田沼町/編 田沼町 1982)
・『栃木県の歴史散歩 新版』(栃木県の歴史散歩編集委員会/編 山川出版社 1991)
・『近世日本石灰史料研究 9』(川勝守生/著 岩田書院 2016)
・『角川日本地名大辞典 9 栃木県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1984)
・『栃木県の商工業 1951』(栃木県経済部商工課/編 栃木県経済部商工課 1951)
・『鏝絵放浪記』(藤田洋三/著 石風社 2001)
・『栃木百名山の山名由来』(手塚晴夫/著 随想舎 2015)