旧今市市(現日光市)の瀬尾における大谷川の氾濫被害について、当館所蔵資料に記述を確認しました。
・『角川日本地名大辞典 9 栃木県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1984)
p.524「せのお 瀬尾<今市市>」の項があります。
「瀬尾」の由来について慶長年間の洪水により瀬川村と分離した際にできた地名である旨の記載があります。
また、「享保8年の氾濫では村民各々が自分の持畑のうち安全な所へ村ぐるみ家屋移転を願い出た(平野家文書)。」とあります。
・『日光市旧町村郷土誌 藤原村・足尾町・瀬尾村・豊岡村』(日光市歴史民俗資料館/編、発行 2012)
p.319-327「大正元年力 瀬尾郷土誌」が収録されています。
「第三章 郷土ノ沿革」「第一節 口碑、伝説等」の項に、前掲の『角川日本地名大辞典 9 栃木県』にある地名の由来が記載されています。
・『いまいち市史 通史編 別編1』(今市市史編さん委員会/編 今市市役所 1980)
「第3章 報徳仕法の展開」「第一節 村々の状況と司法の準備」「一 村々の後輩の状況」の中にp.122-124「災害」の項があり、江戸中期ごろの大谷川と瀬尾村の災害に関する記述があります。
また、「3-1 西国巡礼供養塔(瀬尾明静寺に再建)」というタイトルの写真があり、キャプションには「文政2年瀬尾村で建てられた供養塔であるが、おそらく安政の大洪水で600m離れた対岸まで流されたもの」とあります。
・『いまいち市史 史料編 近世3』(今市市史編さん委員会/編 今市市役所 1976)
p.206-208「88 享保九年十月 瀬尾村引越帳(瀬尾 平野 博家 82冊)」があり、享保8年の洪水被害により家屋を移動させた住民の名前が確認できます。
・『鹿沼史林 第48号』(鹿沼史談会/編、発行 2008)
p.24-28 「「日光領農民と川除御普請」補稿 文化九年瀬尾村の大谷川洪水村請御普請」佐藤権司/著 が掲載されています。
文化9年に起こった洪水について、復興工事に関する記述が多くあります。
・『日光消防組資料』(山本忠一郎/著、発行 1978)
瀬尾村に関する直接の記述はありませんが、口絵の写真と巻末の年表に大谷川に関する情報があります。
巻末には「近世日光災害略年表」の掲載があり、以下の5つ年号の項に大谷川の洪水があった旨の記載があります。
「天和三年(一六八三)」、「貞享元年(一六八四)」、「宝永元年(一七〇四)」、「享保八年(一七二三)」、「天明六年(一七六八)」、「明治三十七年(一九〇四)」。
なお、『角川日本地名大辞典 9 栃木県』及び『いまいち市史 史料編 近世3』が出典としている「平野家文書」については、以下の資料に所在に関する記載がありました。
・『栃木県史料所在目録 第12集 上都賀郡 3 日光市・今市市』(栃木県教育委員会事務局県史編さん室/編 1983)
p.139-140「平野(博)家文書」の項があり、出版時点での所有者の情報が記載されています。
上記資料は近世に関する情報が中心ですが、近現代の氾濫については以下の資料に記載がある可能性があります。
・『栃木県の気象百年』(宇都宮地方気象台/編、発行 1990)
p.186-226「栃木県の主な災害年表」の項があり、1901(明治34)年から1988(昭和63)年までの気象災害等を確認することができます。
被害の概要については県全体の統計のみが記載されていることが多く、地域別の被害状況までは確認できない場合があります。
・『栃木県60年間の異常気象 1901~1960』(気象庁/編、発行 1969)
1901(明治34)年から1960(昭和35)年までの異常気象による災害を調べることができます。
下野新聞等から被害状況を引用しているほか、巻末の気象別索引から「豪雨・大雨」に絞って調べることもできます。