レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/06/16 17:07
- 更新日時
- 2024/01/16 12:43
- 管理番号
- 2023-0021
- 質問
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解決
戦時中の砂糖の配給について調べている。配給の割当量や割当に対して足りるだけの砂糖が確保されていたのか知りたい。
- 回答
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『砂糖配給統制の現状』
昭和16年出版時点での配給に関する解説。若干企業・小売り寄りの内容。
p8「砂糖の切符制は、不渡切符ではなく、割當てられた砂糖は、完全に買ふことが出来るのである。夫れは、製糖會社を始め砂糖配給業者が、圓滑なる配給統制を為すべく最善の努力を拂つて居るからである。又、之れと共に、砂糖は切符制實施の適應性が多分にあつたからである。何んと云つても、砂糖は自產自給が出來るからで、其の根本は、力强い臺灣糖業があるからである。」とある。
p79 各都道府県の一人当たり配給量あり。
『戰時國民生活最低基準ニ關スル答申書』
p48 最低基準食に必要な量と供給できる量の対比表(昭和十九年推定)あり。砂糖は+で足りている。
『近代日本糖業史 下巻』
p347「昭和一五年五月一一日、政府は(中略)さしあたり六大都市において、砂糖(およびマッチ)の切符制を実施することを閣議決定した。」
p348 砂糖切符制の実施方法の大要の(4)にて、「購入できる数量は、世帯員一人につき一ヵ月〇.六斤(三六〇グラム)である。」と記載がある。
『現代日本産業発達史 18』
p199「太平洋戦争開始後の国内糖業経済は台湾糖業を中心とし、台湾糖で内地その他の需要に応ずる体制をとった。」とある。
p200 砂糖の配給は「一六-一七年期の増産と南方糖の輸入があったので、一七年前半期ごろは繰上配給・特別配給などもおこなわれ」たが、「一八年にはいると日本軍の敗退が相次ぎ、船腹の不足(台湾からの移入は一八年から減少)が強まり、配給量は大幅に削られた。」とある。
また、「一五年五月に生活者一人当り一ケ月の配給量を六大都市〇.六斤(中略)配給が施行された」と記載されている。
『都史資料集成 第11巻』
p864「砂糖」項目に「家族十五人迄一人に付〇・六斤」とあるが、一月や一日の記載ない。
p896「家庭用砂糖の割当量は一人当月〇.六斤を一律に割当した・・・」とある。
『昭和 第5巻 二万日の全記録 昭和13年~15年』
p263「一人、月0.6斤(約360グラム)とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 食品工業 (588 8版)
- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 『砂糖配給統制の現状』山下久四郎 著者 日本砂糖協会 1941.02 (588/Y44 閉架一般 000040569)
- 『戰時國民生活最低基準ニ關スル答申書』調査研究動員本部[編] 調査研究動員本部 1945.04 (E365.5/C54 地下書庫江波戸図書 080005476)
- 『近代日本糖業史 下巻』糖業協会 編者 勁草書房 1997.04 , ISBN 4326501286 (588/To23/2 閉架一般 000033578)
- 『現代日本産業発達史 18』現代日本産業発達史研究会 1967.06 (602/G34/18 地下書庫和図書 000033588)
- 『都史資料集成 第11巻』東京都公文書館 編 東京都公文書館 2012.03 (213.6/To46/11 閉架一般 000055233)
- 『昭和 第5巻 二万日の全記録 昭和13年~15年』講談社 編者 講談社 1989.11 , ISBN 4061943553 (210.7/Ko19/5 開架大型 000025597)
- キーワード
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- 配給
- 砂糖配給
- 製糖
- 日中戦争
- 太平洋戦争
- 十五年戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『台糖九十年通史』000034883
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000334617