レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2022/09/07 14:39
- 更新日時
- 2023/01/17 09:44
- 管理番号
- 平塚中央20200522
- 質問
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解決
馬入川(ばにゅうがわ)の由来を調べている。江戸時代以前の資料を知りたい。
- 回答
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馬入川の地名の由来については不明。調査した資料を紹介する。
【資料1】『馬入の歴史』
p.13~14に馬入という地名または馬入と推測される名称が見出される文献について古い順に記載があり、江戸時代以前の資料では『三浦和田文書』『豆相記』『新編相模國風土記稿』『東海道分館図絵』とあるが、由来についての記述は見当たらない。
またアイヌ語説や源頼朝の伝説についての記述もあるが、p.14に「馬入という地名はいつ頃から称されるようになったのでしょう、また謂れはどこにあるのでしょうか、確かなことは解かりません」とある。
【資料2】『新編相模国風土記稿 第二巻』
p.356下に「橋供養の日、頼朝の乗馬、物に驚て此川に落入る、是より馬入川の名越れりと云、俗説あり」とある。
【資料3】『馬入地誌 馬入辞川 改訂版』
p.62「平成馬入誌」に「新編相模國風土記稿に『橋供養ノ日頼朝ノ乗馬~』~面白き話ではあるが馬入の地名由来未だ不明」とある。
【資料4】『平塚の地誌』
p.248~249に『平塚郷土誌事典』(正しくは『平塚市郷土誌事典』【資料6】)に記載されている埴生の転訛説と源頼朝が乗馬したまま河中に落ちたという伝説に因んで川名も村名も「馬入」となったという説の記述がある。
【資料5】『地名考 平塚 旭 大野 豊田 城島 神田 岡崎 金田 土沢 金目』
p.14「平塚地名考」に、馬乳、埴生について、また源頼朝の落馬した伝説について記述がある。
- 回答プロセス
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(1)過去の類似レファレンスの参照文献を元に調査。
【資料4】『平塚の地誌』p.248~松原地区、同ページに「馬入村と馬入川の名」について記載あり。
【資料6】『平塚市郷土誌事典』p.630「馬入村」の項目で地名の由来について。
【資料7】『馬入の歴史』p.12~「第2章 馬入村落」の中で馬入の地名について。
【資料2】『新編相模国風土記稿 第二巻』
p.339上に相模川の項目があり、その中で「馬入村にては、馬入川と唱へる」と記述あり。
p.355下にも同様の記述あり。「【豆相記】馬生に作る」「馬生河邉」の記述あり。
【資料5】『地名考 平塚 旭 大野 豊田 城島 神田 岡崎 金田 土沢 金目』「平塚地名考」p.14
【資料1】『馬入地誌 馬入辞川』p.62~69「平成馬入誌」
以下の資料を見たが地名の由来については見当たらなかった。
【資料7】『平塚市地名誌事典 改訂―位置・地名・地形・現状―』「平塚地区」p.39から馬入地区の記載があるが、地名の由来については記述なし。
【資料8】『平塚市史民俗調査報告書 7 平塚(旧市域)』
【資料9】『平塚の人と自然と』
【資料10】『全世界の河川事典』p.206「馬入川 相模川河口部の別称である」とのみ記述されている。
(2)各資料について調査
●【1】『馬入の歴史』
p.13~14に馬入という地名または馬入と推測される名称が見出される文献について古い順に記載があり。
江戸時代以前の資料では『三浦和田文書』『豆相記』『新編相模國風土記稿』『東海道分館図絵』とあるが由来についての記述は無し。
アイヌ語説や源頼朝の伝説についての記述もあるが、p.14に「馬入という地名はいつ頃から称されるようになったのでしょう、また謂れはどこにあるの でしょうか、確かなことは解かりません」と記述されている。
【資料11】『地名アイヌ語小辞典』記載無し。
●【資料12】『新平塚風土記稿』
p.150「70 馬入地名考」に「バニウ(馬入)という地名は寛永八年(一六三一)の古記に『相州馬乳』とあるよしが相模国風土記に載っている。それより記録に古い記録にバニウという地名やバニウの川名がみえていないことはこの地名がさほど古いものではないことを物語っている。オランダの医家ケンペルが元禄四年(一六九一)に江戸へ来たときの紀行に『われわれはBanniu村とて…』」との記述あり。
→ケンペルの紀行を調べる。
【資料13】『日本誌-日本の歴史と紀行-下巻』
p.289「約100戸の馬入(ばにゅう Banryu,Bendjyu)村に到り,この村の傍を流れる同じ名の…」と記述あり。
→相模国風土記稿を調べる。
【資料2】『新編相模国風土記稿 第二巻』
p.339上に相模川の項目があり、その中で「馬入村にては、馬入川と唱へる」と記述あり。
p.355下にも同様の記述あり。「【豆相記】馬生に作る」との記述あり。 馬生河邉の記述あり。
「建久九年冬、橋供養あり、【保暦間記】に見ゆ、其文前に出す按ずるに、此橋廃せし年代詳ならず、又橋供養の日、頼朝の乗馬、物に驚て此川に落入る、是より馬入川の名起れりと云、俗説あり」との記述あり。
→『保暦間記』を調べる。
【資料13】『群書類従 第26輯』
p.40上『保暦間記』「同冬大将殿相模河ノ橋供養ニ出テ皈セ給ヒケルニ。」と記述あり。馬入川の記述は見当たらない。
●【資料3】『馬入地誌 馬入辞川 改訂版』
p.62「平成馬入誌」『新編相模國風土記稿』についての記述あり。
- 事前調査事項
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『吾妻鏡』に頼朝が落馬し、まもなく死亡したことが書いてある。
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
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- 【資料1】『馬入の歴史』馬入の歴史再発見事業活動委員会編,馬入の歴史再発見事業活動委員会, 2008 (当館請求記号 KH213)
- 【資料2】『新編相模国風土記稿 第2巻(大日本地誌大系20)』蘆田伊人校訂 圭室文雄補訂,雄山閣, 1980 (当館請求記号 K0291)
- 【資料3】『馬入地誌 馬入辞川 改訂版』原康夫, 2018 (当館請求記号 KH213)
- 【資料4】『平塚の地誌』井出栄二著,1985 (当館請求記号 KH291)
- 【資料5】『地名考 平塚 旭 大野 豊田 城島 神田 岡崎 金田 土沢 金目』今井英雄,1971 (当館請求記号 KH291)
- 【資料6】『平塚市郷土誌事典』平塚市企画室市史編さん室編,平塚市,1976 (当館請求記号 HB0)
- 【資料7】『平塚市地名誌事典 改訂 位置・地名・地形・現状』小川治良著,小川治良,2011 (当館請求記号 KH291)
- 【資料8】『平塚市史民俗調査報告書 7平塚(旧市域)』平塚市博物館編,平塚市博物館,1988 (当館請求記号 HD0)
- 【資料9】『平塚の人と自然と』平塚市教育研究所編,平塚市郷土文化研究会,1962 (当館請求記号 HC0)
- 【資料10】『全世界の河川事典』高橋裕編集委員長ほか,丸善出版,2013 (当館請求記号 517.03)
- 【資料11】『地名アイヌ語小辞典』知里真志保著,北海道出版企画センター,1984 (当館請求記号 291.03)
- 【資料12】『新平塚風土記稿』高瀬慎吾著,平塚市教育委員会,1970 (当館請求記号 HC0)
- 【資料13】『日本誌 日本の歴史と紀行 下巻』エンゲルベルト・ケンペル/著 今井正/訳,霞ケ関出版,1973 (当館請求記号 291.09 A)
- 【資料14】『群書類從 第26輯』塙保己一編,酣灯社,1952 (当館請求記号 081 G)
- キーワード
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- 馬入
- 馬入川
- 源頼朝
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000320953