レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年07月24日
- 登録日時
- 2018/09/11 14:26
- 更新日時
- 2018/10/18 16:03
- 管理番号
- 岩槻駅東口-1-00004
- 質問
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解決
さいたま市岩槻区の真福寺貝塚で出土し、現在国立博物館で所蔵している重要文化財「みみずく土偶」について、発見時の信頼できる報告書または研究所はないか。
- 回答
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同貝塚の調査史は、『史跡真福寺貝塚総合調査概報(2) さいたま市埋蔵文化財調査報告書第12集』([さいたま市教育委員会]生涯学習部文化財保護課/編 さいたま市教育委員会 2017)、『真福寺貝塚 調査の軌跡 第40回特別展』(さいたま市立博物館/編 さいたま市立博物館 2016)、『国指定史跡真福寺貝塚総括報告書 (第1期確認調査報告書)(生涯学習部文化財保護課/編集 さいたま市教育委員会 2015)、『史跡見沼通船堀(西縁)確認調査』(さいたま市教育委員会生涯学習部文化財保護課/編 さいたま市教育委員会 2016)に、記述されています。しかし、いずれも大正15年(1926年)の大山史前研究会による調査から記述が始まっており、それより以前だとされる“みみずく土偶”発掘時の調査については、言及がありません。さらに、『新編 埼玉県史 資料編1』(埼玉県/編集 埼玉県 1980)の月報p5は、「今日重文に指定され、東京国立博物館に陳列されている岩槻市真福寺貝塚出土の朱塗木兎土偶(原文ママ)」について「正式な記録はない」と記しています。以上のことから、少なくとも発掘当時、正式な性格を帯びた報告書の類は刊行されなかったか、散逸したものと推測されます。
では、発掘時以降に調査、研究が行われていないかと、県内公共図書館の所蔵資料を探したところ、「埼玉県柏崎村真福寺貝塚調査報告」(『史前学小報』第2号に収録 史前学会 1928 埼玉県立熊谷図書館所蔵)に、甲野勇氏が「中澤澄男氏が且つて此地に於て採集された土偶(第十八圖)は、右足を缺損するも他は全く完全な所謂木兎土偶である。」とのみ記しているのが見つかりました。この時点では右足部分が欠損していたようです。
また、報告書ではありませんが、発掘者の中澤澄男氏自身がこのみみずく土偶の発見と、その後右足部分を合体させたいきさつについて記した文章として、「趣味の採集」(『趣味の考古学』に収録 雄山閣 1937 国立国会図書館デジタル化資料)があります。
- 回答プロセス
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『真福寺貝塚 調査の軌跡 第40回特別展』(さいたま市立博物館/編 さいたま市立博物館 2016)に、真福寺貝塚のこれまでの調査歴が詳しく網羅されている。この資料の巻末に挙げられている参考文献と、その後に刊行された資料をあたっていった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 芸術政策.文化財 (709 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市岩槻区
- 真福寺貝塚
- みみずく土偶
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000242330