レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年11月12日
- 登録日時
- 2024/02/25 10:22
- 更新日時
- 2024/03/19 11:24
- 管理番号
- 中央-1-0021705
- 質問
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解決
大宮商業高校(さいたま市見沼区)の近くに大和田陣屋跡があり、昔その辺りに舟着場があったらしい。近くには寿能城もあったようだ。時期はおそらく江戸から明治。陣屋や舟着場が載っている地図があれば見たい。
- 回答
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下記資料を紹介した。
『寿能城と戦国時代の大宮 第13回特別展示図録』 大宮市立博物館/編 大宮市 1990年
p18に、当時の寿能城と伊達城(大和田陣屋付近)のイメージ図があり、「舟着場」が書かれている。
- 回答プロセス
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●市史を確認する
『大宮市史 第2巻 古代・中世編』 大宮市役所 1971年
p383-386「寿能城跡」
見沼に三方を囲まれていた、という地理的状況については詳しく書かれているが、舟着場に関する記述なし。
p386-387「大和田陣屋」
「陣屋の北側には昔は見沼が入り込んでおり(現在の県立商業高校の校庭近くまで)、船着場があったと伝えられる。おそらく寿能城との連絡はその舟によったのであろう」と書かれているが、地図はなし。
『大宮市史 第3巻 上 近世編』 大宮市役所 1977年
p131-132「陣屋の廃止と御林処分(伊達氏陣屋の場合)」
「陣屋跡は、大宮商業高校南側の見沼の水田に付き出した台地上に位置していた。台地の突端に立つと、眼下に見沼の水田、はるかに寿能城跡がながめられ、付近には昔舟着場があったといわれる地もある」
地図はなし。
p228「大和田村絵図」
陣屋や舟着場は確認できず。
『大宮市史 第3巻 下 近世地誌編』 大宮市役所 1973年
p212-219「大和田村」
p212「本村」の説明に、大和田陣屋がこの字地にあったことが書かれている。
p213「大和田村字地図」
陣屋や舟着場は確認できず。
●大和田陣屋、寿能城に関する資料を探す
『寿能城と戦国時代の大宮 第13回特別展示図録』 大宮市立博物館/編 大宮市 1990年
p17「寿能場周辺の地理的景観」
「江戸名所図会」あり。寿能城の物見やぐらの場所が矢印で示されている。舟着場などが確認できるわけではないが、この付近が見沼に囲まれていたことが分かる。
p18「寿能城の立地」
昭和22年頃の寿能場周辺の写真と、「寿能城をとりまく地形」の簡略地図(イメージ図)あり。見沼を挟んで、寿能城(物見櫓)と舟着場があったことが分かる。
p69「大和田村絵図」(江戸時代)
『大宮市史』掲載の絵図の原本。サイズが小さく舟着場はよくわからない。
↓拡大図
p26「大和田村絵図・部分」(江戸時代)
伊達氏の陣屋(伊達城とは別物)と、川と橋(おそらく芝川)と思われるものは確認できるが、大和田陣屋付近の舟着場というのは確認できない。
『戦国時代のさいたま 城と館からさぐる さいたま市・岩槻市合併記念事業特別展』 さいたま市立博物館 2005年
p24-25「寿能城」
調査済の『寿能城と戦国時代の大宮』と同じ地図あり。それ以上の情報はない。
p32「伊達氏館(大和田陣屋・伊達城)」
地理的な特徴など詳しく書かれているが、舟着場に関する記述なし。
『埼玉の古城址 新装版』 中田正光/著 有峰書店新社 2001年
p50-55「寿能城」「伊達城」
「伊達城は、芝川をへだてた寿能城と相対する位置に築かれていた」
「現在、見沼からこの台地に上がる所を「池袋」と呼んでいるが、舟つき場があった所だと伝えられている」
とあるが、当時が分かる地図はなし。
『大和田陣屋跡;裏慈恩寺下手遺跡;柏崎中組遺跡;柏崎貝塚-第2・3・4次-』 さいたま市教育委員会生涯学習部文化財保護課/編 さいたま市教育委員会 2006年
『大和田陣屋跡 第5・6次』 さいたま市遺跡調査会/編集 さいたま市遺跡調査会 2016年
いずれも発掘調査の概要のみ。
『大宮の郷土史 第27号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 2008年
p38-59「伊達氏と大和田陣屋」織本重道
詳しい考察がされているが、既存の資料の抜粋が主で、舟着場の地図はない。
●地誌、地図を調べる
『大日本地誌大系 13 新編武蔵風土記稿 第7巻』 雄山閣 1981年
p292「大和田村」
陣屋跡について書かれているが、舟着場についての記述はなし。
『武蔵国郡村誌 第1巻 限定版』 埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1953年
p380-383「大和田村」
陣屋跡や舟着場についての記述はなし。
『明治前期測量2万分1フランス式彩色地図 第一軍管地方二万分一迅速測圖原圖覆刻版 埼南7』 日本地図センター 1997年
舟着場は確認できず。探している時代も異なる。
『地図・絵図でみる大宮の移り変わり』 大宮市立博物館/編 大宮市立博物館 1991年
p10-11「大砂土村」(大和田村絵図)
大和田村絵図2種。解説によると、「見沼池」「見沼新田」の表記の違いから、二つの絵図の年代は享保十二年(1727年)の新田開発の時期を境にしていることがわかるようだ。舟着場はなし。(見沼代用水が作られる前の地図でないと、舟着場は出てこないのではないかと思われる)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 日本 (291 10版)
- 日本の建築 (521 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 大和田陣屋
- 寿能城
- 舟着場
- 大宮市
- さいたま市見沼区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000346597