レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年3月23日
- 登録日時
- 2024/02/08 16:16
- 更新日時
- 2024/03/12 15:53
- 管理番号
- 新県図-01536
- 質問
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解決
牧野忠成とその父・康成の名前の読み方について
- 回答
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当館所蔵資料を調査したところ、(1)~(9)の資料に牧野忠成の名前の読み方が見つかりました。(3)の資料にのみタタナリと、そのほかの資料にはすべてタダナリと記載されています。
また、(1)及び(6)~(8)の資料に牧野康成の名前の読み方が見つかりました。(1)(8)の資料にはヤスシゲと、(6)(7)の資料にはヤスナリと記載されています。
(1)『新潟県史』通史編3 近世第1(新潟県/編 新潟県 1987)
「牧野氏長岡藩の成立と所領」内p117に、「堀直竒のあとを受けて長岡藩主になったのは牧野駿河守(または右馬允)忠成(ただなり)である。忠成は三河以来の家康の重臣牧野康成(やすしげ)の長男で、…」と記述があります。
(2)『長岡市史』通史編上(長岡市/編 長岡市 1996)
「1 譜代大名牧野氏」内p」318に、「長岡藩祖忠成(ただなり)の祖父成定(なりさだ)は、…」と記述があります。ただし、康成には読みがなの記載がありませんでした。
(3)『新潟県人名辞書』(金子信尚/著 新潟県人名辞書編纂事務所 1941)
p110~111「牧野忠成(初代)(まきのたたなり)」
(4)『越佐人物誌』中巻(牧田利平/編 野島出版 1972)
p879~880「牧野忠成(まきのただなり)」
(5)『越佐人名辞書』(村島靖雄/編 歴史図書社 1974)
p573~574「マキノタダナリ 牧野忠成(初代)」
(6)『新潟県大百科事典』下巻(新潟日報事業社/編 新潟日報事業社 1977)
p574「牧野忠成(駿河守) まきの・ただなり 1581~1654」(今泉肖三)
p575「牧野康成 まきの・やすなり 1555~1609」(今泉肖三)
(7)『長岡歴史事典』(長岡市/[編] 長岡市 2004)
p323「牧野忠成 まきのただなり 1581~1654」(本山幸一)
牧野康成の項目はありませんでしたが、p324「牧野忠成の康成系譜書 まきのただなりのやすなりけいふしょ」(本山幸一)等関連項目により、康成の名前の読み方を確認することができます。
(8)『長岡の文化財』(長岡市教育委員会/編 長岡市教育委員会 2003)
まずp10「狩野秀信(かのうひでのぶ)筆 徳川十七将(とくがわじゅうしちしょう)の図(ず)」を確認しましたが、解説文に牧野忠成及び康成に関する記述はありませんでした。
なお、p33「寛永19年 牧野右馬允忠成(まきのうまのじょうただなり)の康成系譜書(やすしげけいふしょ)」等、そのほかの掲載史料により、忠成と康成の名前の読み方を確認することができます。
(9)『三百藩藩主人名事典』第3巻(藩主人名事典編纂委員会/編 新人物往来社 1987)
「長岡藩」内p72「牧野忠成(まきの ただなり・1581~1654)」
以下は調査済み資料です。
・『長岡藩史話』(蒲原拓三/著 歴史図書社 1980)
・『越佐名士録』(坂井新三郎/著 越佐名士録刊行会 1942)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 牧野忠成
- 牧野康成
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000346129