レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年4月20日
- 登録日時
- 2023/12/28 16:43
- 更新日時
- 2024/03/29 13:50
- 管理番号
- 地-230005
- 質問
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解決
島崎藤村『夜明け前』に登場する「三浦道寸父子の墓石」がどこにあるか紹介している資料を探している。できれば『夜明け前』が発表された昭和4年以前に刊行された資料がよい。
- 回答
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昭和4(1929)年以前に刊行された資料で、「三浦道寸の父子の墓」について記載があるものは以下のとおり。
『三浦大觀』 佐藤善治郎著 林初三郎(発行) 1908
「三、三浦の案内、前篇(西海岸) 其四 三崎町」に「三浦道寸父子の墓」の項(p.51-53)があり、三浦荒次郎(義意)及び道寸の墓の位置と墓碑に刻まれた文字について記載されている。
『神奈川縣 上 全国名勝史蹟案内 第1編』 石井茂二郎編 栗原書店 1916
「三浦郡西部沿岸」の中に「三浦荒次郎義意の墓」(p.181-182)、「三浦道寸義同の墓」(p.182-184)の項があり、それぞれの墓の位置と碑面に刻まれた文字について記載されている。
『三浦三崎の海と山』 下里岬友散人著 下里昇 1915
p.39-40「道寸公父子の墓」の項に、小網代港に向いた一突角に二木の墓が三浦導寸義同公父子の墓である旨が経路と共に記載されている。
『三浦半島めぐり』 東京鉄道局 1927
p.15-17「三浦道寸父子の墓」の項に、旧二の丸址即ち荒井岬の小網代湾に面した断崖の上にあると記載されている。
『相州三浦三崎案内』 高田熊吉 1910
p.13「網代」の項に、渡船で対岸に渡り山を越えると三浦道寸と荒次郎の墓がある旨が記載されている。
- 回答プロセス
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『神奈川県史 別編1 人物』によると、三浦道寸父子の概略は次のとおり。
「みうら よしあつ(三浦義同)」1464~1516 三浦介、陸奥入道道寸と称した。伊勢宗酔に攻められ自刃。墓所は三浦市小網代新井城。
「みうら よしおき(三浦義意)」~1516 三浦道寸の子。父とともに自決。墓所は円覚寺得寿庵。(『大日本史料』9 三浦系図伝)
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 佐藤善治郎 著. 三浦大觀, 林初三郎, 1908. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I14111100567747
- 石井茂二郎 編 ; 石井波路 編. 神奈川縣 上, 栗原書店, 1916, (全国名勝史蹟案内 ; 第1編). https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I14111100537961
- 下里岬友散人 著. 三浦三崎の海と山, 下里昇, 大正4, 10.11501/920751. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000542189
- 東京鉄道局 編. 三浦半島めぐり, 東京鉄道局, 1927. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I14111100567759
- 高田熊吉 著. 相州三浦三崎案内, 高田熊吉, 1910. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I14111100567306
- 神奈川県県民部県史編集室 編. 神奈川県史 別編 1, 神奈川県, 1983.3, 10.11501/9522836. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001641931
- キーワード
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- 三浦道寸
- 三浦義同
- 三浦義意
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000344169