レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年12月28日
- 登録日時
- 2019/11/12 14:09
- 更新日時
- 2020/11/26 13:53
- 管理番号
- 県立長野-19-056
- 質問
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解決
1 江戸時代の信州筑摩郡における「五人組手形」あるいは「五人組」について文献をみたい
2 広く江戸時代の信州の五人組についてもあったら見たい。
- 回答
-
1-①「筑摩郡の五人組」について次の4点の資料に掲載があった。
・尾崎行也 「筑摩郡幕領における五人組帳の実体-筑摩郡大足村の場合-」『信濃 第三次』
第16巻2号 1964(昭和39)年2月 p.45-62
・太田秀保 「五人組御改帳からみた下町のこどもたち-信濃国筑摩郡松本本町五人組御改帳の分析-」
『信濃 第三次』 第51巻9号1999(平成11)年9月 p.26-39
・『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 第2巻 歴史下』 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会編
東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会1968年【N233/10/2-2ア】 p.188-190
第二章 町と村 三 五人組制度」についての項で記述があった。
・『五人組法規集 続編上』穂積陳重 有斐閣 1944 【322.1/54/2-1】 p.639-640に
「安政2年信濃国筑摩郡神戸村五人組帳(第40・2号ノ3)」があった。(全文省略)となっており、
p.640項の末尾に「一内容 に系統 第40・2号ノ2 に全く同じ。」の記述があった。
「第40・2号ノ2」を探すと、p.634-「宝暦7年信濃国上伊那郡飯島領五人組帳(第40・2号ノ1)」
があり、一部省略があるものの、条文が記載されている。
その[備考]末尾p.637に「同系のもの4種(第40・2号ノ1-4)。」の記述があった。
また、本書は江戸時代の信州他地域の五人組帳も掲載されている。
こちらの資料は宇都宮大学付属図書館で所蔵しており、利用可能となっている。
また国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できる。(コマ数350・351・352・353) (最終確認日 2020年6月10日)
-②「五人組手形」について次の資料に記述があった。法規としての内容だが、参考までに記載する。
『五人組制度論』 穂積陳重編 有斐閣 1940 【322.1/20】 p.132「五人組帳の題號(号)と其法規の體(体)裁との関係」の項に、
「五人組帳の題號中、単に「五人組帳」または「五人組前書帳」と稱(称)するものは命令式なるものあり又は受命式なるものあれども、「五人組手形」「五人組村約定書」「五人組村約束書「五人組連判帳」「五人組證(証)文」及び「差上申一礼之事」と題するものの如きは皆な受命式に其法規を記載せり-後略-」という記載があった。
この、命令式または受命式の書き方の違いは「実質上に影響を及ぼしたるものに非らず。必竟其地方某時代に於いて人民に其法令遵奉の感念を強くせんが為めに、一箇条毎に之を約束又は請書の体裁に記したるに過ぎざりしもののごとし -抜粋- 」と記載があった。
2 江戸時代の信州の五人組について。
上記1の『五人組法規集 続編上』とともに、次の資料15点をを紹介する。
・市川雄一郎 「寛永及慶安の五人組帳について」
『信濃 第一次』 [復刻版] 第5巻2号1936(昭和11)年2月 p.43-47
・市川雄一郎「佐久の五人組前書」
『信濃 第二次』 [復刻版] 創刊号 1942(昭和17)年1月 p.78-88
・市川雄一郎 「佐久の五人組前書(2)」
『信濃 第二次』[復刻版] 第17巻3号 1942(昭17)年3月 p.24-34
・平沢清人「信州伊那郡伊久間村の家並・宗門・五人組帳における一軒前の考察」
『信濃 第三次』 第9巻7号 1957(昭和32)年7月 p.11‐21
・平沢清人 「近世村落の五人組の構成-信州伊那郡柿野沢村を中心として-」
『信濃 第三次』 第15巻3号 1963(昭和38)年3月 p.2-13
・小穴芳実 「近世の家族構成について-宗門改五人組連判帳の分析-」
『信濃 第三次 第40巻10号』 1988(昭和63)年10月 p.1-16
・平沢清人 「江戸時代の五人組制度と其教化的意義」
『信濃教育』667号1942(昭和17)年5月 p.53-58
・平沢清人 「三人組・五人組・十人組」 『伊那』 第377号 1959(昭和34)年10月 p.13-16
・下平すみ子 【古文書の窓】144 「五人組組替え願いに付き御役所にお願い」
『伊那路』第63巻7号 2019(令和元)年7月 p.34-36
・青木友雄 佐藤松太郎 資料紹介「五人組前書五条目」について」
『須高』第6号 1977(昭和52)年8月 p.43-51
・佐藤松太郎 資料紹介[再び「五人組前書五条目」について」
『須高』 第9号 1979(昭和54)年7月 p.119-121
・研修部 古文書探検(2) 「五人組の役割」 『高井』第153号 2005(平成17)年9月 p.58-59
・中沢浅二郎 「信州埴科郡小嶋村御仕置五人組 」(小嶋区有文書から)
『ちょうま』第8号1987(昭和62)年11月 p.12-18
・柳町節夫 「隣保組織としての五人組について」 『ちょうま』第31号2010(平成22)年11月 p.19-24
・「塩崎上町五人組願書 雲州職人入婿(寛政3年)『長野 古文書練習特集号』
第155号 1991(平成3)年1月 p.30-31
〈上記以外の調査済み資料〉
『小川郷土史料 第11輯 旧幕時代の五人組制度一班』 伊藤豊弥編 不明 【N212/10/11】
『五人組法規集 続編下』 穂積陳重編 有斐閣 1944 【322.1/54/2-2】
『五人組帳の研究』 野村兼太郎編 有斐閣 1943 【322.1/53】
- 回答プロセス
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1 レファ協で「五人組」で検索、埼玉県立久喜図書館のレファ記録に上がっていた資料のうち、当館所蔵の次の4冊に資料にあたる。
・『五人組制度論』穂積陳重 有斐閣 1921 【322.1/20】
・『法制史の研究』三浦周行 岩波書店 1920 【322.1/18/1】
・『近世農民生活史』児玉幸多 吉川弘文館 1951 【611.9/122/】
・『五人組法規集 続編上』穂積陳重 有斐閣 1944 【322.1/54/2-1】
2 質問1について。
・上記『五人組法規集 続編上』に信濃国筑摩郡神戸村五人組帳の記述があったので紹介する。
国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できることを紹介する。
・信濃史学会の『信濃』論文検索で「五人組」のキーワードで検索する。
信濃の五人組に関する記事が載っているものとして8件がヒットした。そのうち筑摩郡に関する記事が掲載されている2点を紹介した。
「五人組手形」については、法規としての内容だが、『五人組制度論』に記載があったので参考までに紹介した。
3 ・江戸時代の信州の五人組については、『五人組法規集 続編上』とともに、上記の論文検索でヒットした残り6件の資料を紹介する。
さらに、当館オパックで「五人組」のキーワードで検索したところ、江戸時代の他地域の五人組に関する資料として郷土雑誌9件がヒットしたので一緒に紹介した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 法制史 (322)
- 中部地方 (215)
- 参考資料
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穂積重遠 編 , 穂積, 重遠, 1883-1951. 五人組法規集 続編 上,下. 有斐閣, 1944.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000698714-00 -
東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会 編. 東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 第2巻 下. 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会, 1968.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001272612-00 - 信濃 第三次 16巻2号
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穂積重遠 編 , 穂積, 重遠, 1883-1951. 五人組法規集 続編 上,下. 有斐閣, 1944.
- キーワード
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- 五人組
- 筑摩郡
- 信州学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000265115