レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/07/25
- 登録日時
- 2023/08/02 00:30
- 更新日時
- 2023/08/18 11:47
- 管理番号
- 15230973
- 質問
-
未解決
家紋の「丸に左離れ立ち葵」について、詳しく書かれた本はないか。関連する情報があれば、教えてください。
- 回答
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以下のとおり調査いたしましたが、家紋「丸に左離れ立ち葵」について個別に詳解された資料は見当たりませんでした。
家紋における立ち葵の形状・意味について言及した資料として、資料1~3をご紹介します。
資料4には、家紋の囲みについての言及があります。
そのほか、立ち葵紋を使用したとの記載が確認できたいくつかの氏族に関する資料を参考までにご紹介します。
【 】内は国立国会図書館請求記号、書誌事項末尾に◎を付した資料は国立国会図書館デジタルコレクションの国立国会図書館内/図書館・個人送信対象資料、☆を付した資料は同インターネット公開資料です。
資料1:沼田頼輔 著『日本紋章学』人物往来社, 1968【288.6-N993n-z】◎
* pp.394-417「各論」>「二 植物門」>「三、葵」:「歴史」の項に、本多氏が立葵紋を用いたとの記述があります。また「形状種類」の項に、「本多氏の家紋になると、三片の葉から組み合わされたものになり、フタバアオイといった意義を没却することとなり、ここにおいて左右そのいずれかを分離させることを故実とした。そして、本多氏の一門は、この左右の分離によって、本末区別の標準とした」とあります(p.402)。「姓氏関係」の項には、「〇葵紋所用姓氏一覧表」があり、名字菅原氏、出自「清和源氏頼光流土岐支流」の紋章として「左離立葵」とあります(p.416)。
資料2:「丹羽基二の「家紋と苗字の診断室」」(『歴史と旅』17(9)(240) 1990.6 p.287【Z8-990】)
* 「左離れの立葵」の意味についての問いとそれに対する回答があります。
資料3[高澤等] [著]『家紋大事典』ユーキャン, [201-]【GB8-M9】
* pp.11-15「葵」:「中輪に立ち葵」、「左離れ立ち葵」の掲載があり(p.12)、それぞれ形状の説明があります(紋の見た目の描写のみです)。
資料4:丹羽基二 著『日本家紋大事典』新人物往来社, 2008.11【GB8-J13】
* pp.21-22「第一編 家紋のあらまし」>「古い家紋」:家紋の囲み(外郭)の意味について、後世になってすわりをよくするためと子孫の増加などにより区別の必要から添加されたとの二つの意味が紹介され、「一般には丸のない方が古い形」および「この囲みは、家の区別の意はあるが、本質的な意味はない。その中にある図柄そのものが問題なのである」との記載があります。
* pp.48-55「葵」:p.53に「中輪に立ち葵」の図のみがあります(左離れのようです)。
以下は立ち葵紋を使用したとみられるいくつかの氏族に関する情報です。
(1)本多氏
橋本博 編『大武鑑 改訂増補』名著刊行会, 1965【281.035-H272d-(s)】◎
* 中巻>「安永二年」のp.689:同頁の「本多弾正少弼忠籌」および「本多伯耆守正珍」の項の家紋は、丸に三つの立ち葵が描かれており、左離れに見えます。なお、参考までに「本多中務大輔忠丘」(後述)の項の家紋は丸に三つの立ち葵が描かれており、右離れに見えます(下記の『藩史大事典 第4巻 (中部編 2 東海)』に、本多忠粛の通称として「忠丘」とあります)。
* 中巻>「享和三年」のp.741:「本多豊前守正意」の項の家紋は丸に三つの立ち葵が描かれており、左離れに見えます。参考までに「本多中務大輔忠顕」(後述)の項の家紋は丸に三つの立ち葵が描かれており、右離れに見えます。
上記はある年代の『武鑑』における一例であり、そのほかの年代・人物にも丸に左離れ立ち葵の家紋を持つ人物がいる可能性がありますが、当館のレファレンスでは網羅的な調査は行えませんのでご了承ください。
武鑑全集(人文学オープンデータ共同利用センター)(http://codh.rois.ac.jp/bukan/)
* 「寛政武鑑」>「本多伯耆守正德」の項:丸に三つの立ち葵が描かれ左離れに見える家紋の例です:http://codh.rois.ac.jp/iiif/iiif-curation-viewer/index.html?pages=200018823&pos=105&lang=ja
「耳袋」(『舊幕府』(7) 1897.10 pp.53-78【雑19-8】◎)
* 「國字分名集」p.74:「家紋丸内左離立葵」と記載される人物として、「本多大膳」「本多帯刀」「本多六郎」「本多佐吉」の名前が見えます。
「史料」(『舊幕府』2(6) 1898.6 pp.1-73【雑19-8】◎)
* 「旗本國字分名集」p.49:「家紋丸内左離立葵」とされる人物として、「本多左金次」の名前が見えます。
阿達義雄「川柳に現れた本多の立葵」(『川柳しなの』(103) 1950.11 pp.8-9【Z13-540】◎)
* 「武鑑によつて、參州岡崎五萬石の本多平八郎の家紋を見ると、丸に立葵になつて居り(中略)之をよく見ると中央の葉莖と右側(向つて見ては左側)の葉莖は下部に於て密着して一つとなって居るが、左側の一本だけは下部に於て離れてゐる。之が、所謂左離れとでもいふものなのだらうか」とあります(岡崎藩の本多氏の家紋については、上述の『大武鑑』等もご確認ください)。
木村礎 [ほか]編『藩史大事典 第4巻 (中部編 2 東海)』雄山閣出版, 1989.1【GB8-E9】
* pp.291-306「岡崎藩」:〔藩(大名)の家紋など〕の項中、本多家の部分には、立葵とあります。図は丸に三つの立ち葵が描かれていますが、右離れに見えます。〔藩主一覧〕の項中、本多忠粛と忠顕の通称として「平八郎」とあり、いずれも石高は5万です。
(2)菅原氏
能坂利雄 編著『日本家紋大鑑』新人物往来社, 1979.9【GB43-129】◎
* p.73「家紋の改造と構成」>「家紋の外郭円」
* pp.98-101「葵」:「丸に立ち葵」の図のみ掲載があります(右離れのようです)。また、「菅原氏(左離立葵)」との記載があります。
(3)岡山氏
『春日村史 下巻』春日村, 1983【GC124-125】◎
* 「春日の家紋50音順」において、「丸に左離れ立葵」が岡山家の家紋として記載されています。
(4)菅沼氏
『寛政重脩諸家譜 第2輯』國民圖書, 1923【63-238】☆
* 菅沼家の家紋として「左はなれ立葵」との記載あり。
* 該当箇所のURL:https://dl.ndl.go.jp/pid/1082719/1/343
[そのほかの主な調査済み資料およびウェブサイト]
リサーチ・ナビ「家紋を調べる」:https://rnavi.ndl.go.jp/jp/guides/post_1127.html
千鹿野茂 編『新訂寛政重修諸家譜家紋』続群書類従完成会, 1992.2【GB43-E175】
* 家紋索引にて、「丸に立葵」、「丸に立葵(本多立ち葵)」、「丸に立葵(本多分家立ち葵)」、「左はなれ立葵」を確認し、該当ページを参照した上で、『新訂寛政重修諸家譜』の以下の巻を確認。
* 『寛政重修諸家譜 第5 新訂』【288.21-Ka479-H】(左はなれ立葵:菅沼)、『寛政重修諸家譜 第19 新訂』【288.21-Ka479-H】◎(丸に立葵:山田、平井)、『寛政重修諸家譜 第11 新訂』【288.21-Ka479-H】◎(丸に立葵(本多立ち葵):本多)、(丸に立葵(本多分家立ち葵):本多)、『寛政重修諸家譜 第18 新訂』【288.21-Ka479-H】◎「丸に立葵(本多分家立ち葵):本多」、『寛政重修諸家譜 第21 新訂』288.21-Ka479-H】◎(丸に立葵(本多分家立ち葵):本多、藤田)
『平安紋鑑 : 全国紋章之規画統一』京都染物同業組合紋上絵部平安紋鑑刊行部, 1936.7【W194-2034】◎
* p.128「丸に左離れ立葵」の図の掲載があります。
千鹿野茂 監修, 高澤等 著『家紋の事典』東京堂出版, 2008.5【GB8-J3】
* pp.40-44「葵」:「26.左離れ立ち葵」として図のみ掲載があります。
丹羽基二 著『姓氏・家系・家紋の調べ方』新人物往来社, 2001.2【GB43-G246】
丹羽基二 著『家紋大図鑑』秋田書店, 1971【GB43-17】◎
『日本姓氏紋章総覧 : 姓氏からも紋章からも「わが家」がわかる (別冊歴史読本・事典シリーズ ; 第3号)』新人物往来社, 1989.8【GB43-E110】
大枝史郎 著『家紋の文化史 : 図像化された日本文化の粋』講談社, 1999.2【GB43-G143】
* pp.150-151「葵」
千鹿野茂 編『家紋でたどるあなたの家系』続群書類従完成会, 1995.2【GB43-G1】
* p.1「本多葵」:本多氏
* p.2「丸に立ち葵」:平井氏と山田氏に言及あり。例示されている紋の図は右離れのようです。
千鹿野茂 編『家紋でたどるあなたの家系 続』続群書類従完成会, 1998.11【GB43-G1】
* p.1「本多立ち葵」:藤田氏と本多氏等の言及あり。
* p.1「丸に立ち葵」:杉氏と前田氏等の言及あり。
千鹿野茂 著『都道府県別姓氏家紋大事典 東日本編』柏書房, 2004.6【GB43-H75】
* pp.947-997「日本の代表家紋700」
インターネット最終アクセス:2023年7月24日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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●『姓氏家系歴史伝説大事典』 志村 有弘 編 勉誠出版 2003.7
p1280 丸に左離れ立葵の家紋のみ記載あり
◎『上州の苗字と家紋 上巻』 萩原 進 編 上毛新聞社 1979
p346 小池(新治村)
◎『上州の苗字と家紋 下巻』 萩原 進 編 上毛新聞社 1979
p319 知高(高山村)
●『日本家紋総鑑』千鹿野 茂 著 角川書店 1993.3
p4-14 001葵
P8-11 本多立ち葵、左離れ立ち葵、丸に立ち葵
※「丸に左離れ立ち葵」は記載無し
●『家紋大事典』 髙澤 等 著 Encyclopedia of KAMON 東京堂出版 2021.12
※「葵」の項に「丸に左離れ立ち葵」は記載無し
●『日本家紋大図鑑』 本田 総一郎 監修 梧桐書院 2002.3
※「葵」の項に「中輪に立ち葵」はありますが、「丸に左離れ立ち葵」は記載無し
※主に、それぞれ家紋と名称のみが記載されたものでした。
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000336763