レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/12/20
- 登録日時
- 2023/01/05 00:30
- 更新日時
- 2023/01/19 13:59
- 管理番号
- 13620841
- 質問
-
未解決
本多忠刻が播磨姫路新田藩主として姫路に入って来た時、服部平兵衛一元は家臣として姫路に来た。その際、服部平兵衛に与えられた1,300石の領地の場所を知りたい。
『千姫考』(橋本政次著 神戸新聞総合出版センター)p.281「忠刻様分限帳」に「千三百石 服部平兵衛」の記載がある。
- 回答
-
ご照会について、本多家家臣の服部平兵衛あるいは荒木又右エ門の領地に関する情報は得られませんでした。なお各地域史に関する網羅的な調査は調査研究の代行であり、当館のレファレンスの範囲を超えるものでお受けできません。
以下に調査した各種サイト、資料等を紹介します。【 】内は当館請求記号です。当館請求記号の後ろに◎の記載がある資料は、国会図書館デジタルコレクションの国立国会図書館内/図書館・個人送信資料です。
兵庫県立図書館のHPには次のサイトがあります。
兵庫県内各藩の家臣の一覧が掲載されている資料>姫路藩
https://www.library.pref.hyogo.lg.jp/siraberu/tyosasiryosyu/kasin.html#himeji
(レファレンス協同データベースの事例(管理番号:D160918145037)でも紹介。)
上記サイトの「姫路藩」の欄に記載のある以下を調査しました。
・資料1:橋本 政次著『姫路城史 中巻』名著出版,1973【216.4-H278h】◎
pp.295-301「第4節 本多家の家士-[本多家家中侍屋敷図]」
本文に“元祿十一年忠國時代の”と記載があり、[本多家家中侍屋敷図]に記載のあった家士の屋敷の所在と思われる町名、及び家士の名前の一覧があります。貴館でも調査済の『本多家岡崎藩分限帳』によれば忠国に仕えたのは五代目、および六代目服部平兵衛ですが、念のため確認しましたが、服部平兵衛はありませんでした。また六代目服部平兵衛は林姓であった可能性もあり、林姓は複数確認できますが服部平兵衛との関係は不明です。
※このサイトに記載のある「姫路城下町絵図(二次本多時代)解読図」(1682年~1704年 『姫路市史 第10巻 史料編』)、「姫路城下町絵図(二次本多時代)解読図」(『姫路市史 第11巻上 史料編』)の服部平兵衛に関する記述については、管理番号:D160918145037のレファレンス協同データベースの事例において紹介済です。
この他、次の資料を調査しましたが、ご紹会に関する情報は得られませんでした。
・資料2:加古川市史編さん専門委員 編『加古川市史 第2巻 本編2』加古川市, 1994【GC172-173】◎
pp.211-231「第5章第3節 近世前期の領主たち」
「本多氏の地方知行」(pp.214-216)の冒頭に“本多時代にも家臣に対しては地方知行制がおこなわれた。”とあり、「表17 加古・印南郡内にあった本多氏家臣の知行地」(p.215 知行発令年が元和4年~寛永10年)が掲載されていますが、「家臣名」欄に服部はありませんでした。本章末、本書巻頭、巻末等を通覧する限りで「表17」の根拠となる文献名は見当たりませんでした。
・資料3:加古川市史編さん専門委員 編『加古川市史 第5巻 (史料編 2 近世編)』加古川市, 1987.3【GC172-173】◎
目次を通覧する限り、本多氏家臣の知行地の情報が得られる史料は見当たりませんでした。
・資料4:姫路市史編集専門委員会 編『姫路市史 第3巻 (本編 近世 1)』姫路市, 1991【GC172-G90】
本書では、服部平兵衛の領地に関する情報は得られませんでした。また次のように、藩主本多氏の領地についても、“領村まではわからない”旨の記載がありました。
pp.141-184:第二章 幕藩体制整備期の姫路/第二節 姫路地方の領知変遷
pp.141-146:「本多氏領知の推移」
“本多忠政は元和三年(一六一七)七月、一五万石で入封したが、(中略)知行状が父子連名で下されたという。このため、一括して二五万石の領知が多可・加東(中略)の一一郡において与えられたことがわかるだけで、(中略)それぞれどの郡・村でどれほど与えられていたか、内訳は明らかでない(後略)“(pp.141-144)
“寛永三年の段階で、(中略)忠政領一五万石については、領村まではわからない”(p.145)
pp.146-148:「小笠原長次に与えられた忠刻遺領一万石」
“一一郡にまたがっていたとだけしか明らかでない元和三年の本多氏二五万石”(p.146)
・資料5:姫路市史編集専門委員会 編『姫路市史 第10巻 (史料編 近世 1)』姫路市, 1986.3【GC172-E88】※目次を通覧する限り、本多氏家臣の知行地の情報が得られる史料は見当たりませんでした。
なお当館では以下の資料は所蔵しておらず確認していません。
岡崎市 編『本多家とその家臣団 : 特別展図録』岡崎市, 1993
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I004829786-00
ウェブサイトの最終アクセスは2022年12月20日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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レファレンス協同データベース 歴代の服部平兵衛についての事例(管理番号:D160918145037)
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000209901
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000326719