レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/11/05
- 登録日時
- 2022/12/02 00:30
- 更新日時
- 2022/12/22 16:28
- 管理番号
- 13239874
- 質問
-
未解決
伊能忠敬は測量のため、文化十一年一月五日に姫路から出発し、加西・寺内村に入り一泊している。
本隊は人数の関係で二か所に分かれて宿泊し、その宿泊先が村目付 高瀬四朗左衛門、分宿で庄屋 培蔵とある。
現地確認のため、2か所の場所を地図上で確認したい。
- 回答
-
ご照会について次のような文献を調査しましたが、寺内村内の土地の所有者を示す絵図類、測量時の記録類に関する情報は得られませんでした。
【 】内は国立国会図書館請求記号です。書誌事項末尾に◎を付した資料は国立国会図書館デジタルコレクションの国立国会図書館/図書館・個人送信資料、☆を付した資料は同インターネット公開資料です。
・兵庫県加西郡教育会 編『加西郡誌 : 御大典紀念』兵庫県加西郡教育会, 昭和4【83-472】☆
・兵庫県史編集専門委員会 編『兵庫県史 史料編 近世 1~4』兵庫県, 1989-1995【GC167-23】◎
※「播磨国」「加西郡」「北条」「寺内村」等のキーワードを手がかりに目次を通覧する限りで関係すると思われる史料はみあたりませんでした。
・兵庫県立図書館資料課『兵庫県立図書館郷土資料目録 昭和50年11月30日現在』兵庫県立図書館資料課, 1976【GB2-158】
※「210日本史」「216近畿地方」「290地理(地誌及び紀行)・人文地理学」
・『兵庫県公共図書館所蔵郷土資料総合目録』神戸市立図書館, 1961【025.9164-Ko473k】◎
※地域区分索引「2播磨>総記(文書・記録・絵図)」pp.318-319、「212加西郡」p.321
・髙木崇世芝 編著『伊能忠敬関係文献総目録 : 明治13年-平成26年』イノペディアをつくる会, 2015.4【GK179-L180】
※「播磨国」「加西郡」「北条」「寺内村」等を手がかりに通覧する限りで、タイトルや出版地から関係すると思われる文献はみあたりませんでした。
・今井林太郎, 渡辺久雄監修『兵庫 史蹟郷土史』講談社, 1977【GC167-42】
※「近世加西郡の領主たち」p.414
・伊賀 なほゑ「近世における播磨国の町場 : 郷帳・絵図を手がかりに」(『歴史と神戸』56(4)=323:2017.8 pp.1-14【Z8-290】)
・伊賀 なほゑ「近世播磨国の町場と陣屋町 : 江戸後期『国郡全図』と明治期統計にみる町場」(『歴史と神戸』58(3)=334:2019.6 pp.1-13【Z8-290】)
・地域研究史料館「[史料紹介]天保11年田安領知摂津・和泉・播磨村鑑大概帳(1)」(『地域史研究:尼崎市立地域研究史料館紀要』18巻2号(53号) 1988.12 pp.64-86【Z8-530】)
・地域研究史料館「[史料紹介]天保11年田安領知摂津・和泉・播磨村鑑大概帳(2)」(『地域史研究:尼崎市立地域研究史料館紀要』19巻1号(55号) 1989.12 pp.20-54【Z8-530】)
次の資料は北条の俳人「高瀬帰厚」に触れていますが、高瀬四郎左衛門に関する情報は得られず、その関係性は不明です。
・富田志津子 著『播磨の俳人たち』和泉書院, 2010.1【KG251-J14】
※「一 高瀬帰厚と酒見北条の人々」pp.241-244
・穂積勝次郎 著『姫路藩の人物群像』穂積勝次郎, 1968【GC167-1】◎
※p.298
・兵庫県内図書館横断検索 https://www.oudan.library.pref.hyogo.lg.jp/
・兵庫県立図書館 ふるさとがわかるデータベース https://www.library.pref.hyogo.lg.jp/siraberu/hurusato_db.html
「郷土雑誌記事索引」、「兵庫ゆかりの人物文献検索」、「ふるさとひょうごデジタル・ライブラリー」
・国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
・khirin 総合資料学情報基盤システム(国立歴史民俗博物館) https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/
・東京大学史料編纂所データベース 横断検索 https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/
・ADEAC横断検索 https://trc-adeac.trc.co.jp/
・国土地理院「古地図コレクション」 https://kochizu.gsi.go.jp/
・日本古文書ユニオンカタログ https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/search
・伊能忠敬e史料館 https://www.inopedia.tokyo/
以下の資料は当館では所蔵しておらず、確認していません。
・河津 啓太郎/著『北条町誌』北条町役場--1944
・加西市教育委員会 編集『近世史料加西吉野文書』加西市教育委員会--1980
・兵庫県 編『兵庫県史近世資料収集目録』〔兵庫県史編集室〕 -- 〔197-〕
また、次の資料には測量が実施された村々が伊能忠敬の測量隊に提出した絵図について記載がありましたので、ご参考までにお知らせします。ただし寺内村が提出した絵図が現存するか、宿とした住所に関する情報の有無は不明です。
・木村修二「伊能測量隊へ提出された絵図」(『歴史と神戸』38(4)(215) 1999.8 pp.14-21【Z8-290】◎)
・渡邊一郎 著『伊能測量隊まかり通る : 幕府天文方御用』NTT出版, 1997.9【NA41-G23】
※p.138 “どこでも測量に着手する前に(中略)、村の絵図面を調えて提出するよう先触れで村々に通達されていた。このときの提出図面の一部は、いまでも伊能忠敬記念館および伊能家に現存する(後略)”
ウェブサイトの最終アクセスは2022年11月2日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・『伊能忠敬測量日記 別巻』377ページに加西市寺内村に文化11年1月5日、高瀬四朗左衛門と培蔵に宿泊したとの記載がありました。
・『伊能忠敬測量日記 第四巻』22ページに文化11年1月5日、寺内村に宿泊したとの記載がありました。
・『伊能忠敬測量日記 第五巻』533ページに文化11年1月5日の詳細な行程が記載されていました。姫路を出発し、寺内村に到着。「止宿村目付高瀬四朗左衛門、庄屋培蔵、此夜星測る」という記載がありました。
・『伊能大図 近畿・中国・四国』128ページに伊能忠敬が測量した道の記載があり、酒見寺・住吉神社の下に寺内村の記載がありました。
測量チームが進んだ道筋は、『加西市史』第3巻付図道標図に、主要道が明示されています。
以下は、加西市役所生涯学習課市史文化財係で調べていただいた内容です。
・当該期の庄屋として培蔵の名は史料上確認できました。
・「高瀬」については北条の富裕層かつ文化人です。
ただ複数の家があったようで、高瀬四朗左衛門は確認できませんでした。
高瀬の筆頭格として登場するのが高瀬「清右衛門」名で、五百羅漢の開基にも携わっているようです。
現在高瀬家は廃れており、残っている寺内村の絵図等を確認しましたが、在所まで確認することはできませんでした。
庄屋等は本市で把握している史料上では姓までは分からず、現代にいたる系譜は不明です。よって、止宿等の現在地特定はできませんでした。
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000324841