レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/04/10
- 登録日時
- 2021/05/07 00:30
- 更新日時
- 2021/07/29 12:16
- 管理番号
- 9367013
- 質問
-
未解決
質問1.江戸時代、徳川将軍から藩主にあてた改易の文書が見たい。
できれば、松平忠輝にあてられた文書で、文書そのままの写真や画像はないか。それに、釈文や書き下し文、現代語訳があれば、なお良い。
松平忠輝にあてた改易の文書がなければ、改易の文書で徳川将軍からのものであれば、誰にあてたものでも良い。
質問2.質問1に関連して、改易など、将軍からの通達文書を包んだと思われる、今でいう封筒のようなものはどんなものであったのか。形状や大きさ、書き方などに決まり事はあったのか。
- 回答
-
ご照会について次のとおり回答します。
※【 】内は国立国会図書館請求記号です。請求記号後ろの◎印は国会図書館デジタルコレクション(図書館送信資料)であることを示します。
質問1について
将軍が松平忠輝宛に発した改易を命じる文書は確認できませんでした。
資料①収載の表「国持大名の改易事情の伝達」には、松平忠輝改易の伝達は不明とあります。
なお、松平忠輝の改易時に徳川秀忠が発布した「松平忠輝改易条目」は、資料②p.68に記述があります。
ただし、松平忠輝宛ではなく、活字で記されており、画像、釈文や書き下し文、現代語訳は見当たりませんでした。
また、松平忠輝とほぼ同時代に改易された福島正則の事例では、年寄の連署奉書が福島正則への伝達に用いられたことと、内容についての記載が資料①p.281にあります。
※「奉書」とは「主君の指示によってその命令を、政務担当者が特定の人に伝達する文書のことである。江戸幕府においては将軍や西丸(中略)の奉書が、老中はじめ若年寄らから発給された」(『徳川幕府事典』【GB8-H19】p.313)ということです。
〔資料〕
①笠谷和比古 著『近世武家社会の政治構造』吉川弘文館, 2018.10【GB311-M1】※1993出版のオンデマンド版
pp.267-328 第10章 大名改易論
pp.272-288 第一節 元和五年の福島正則改易事件
p.281 史料5「福嶋正則改易申渡」(『東武実録』元和5年6月)
pp.300-328 大名改易の実現過程
pp.302-303 表7「国持大名の改易事情の伝達」
※「国持大名の改易事情の伝達」の表は以下でも参照可能です。
笠谷 和比古「徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察-2-」『日本研究』国際日本文化研究センター, (4), pp.123-147, 1991-03
http://doi.org/10.15055/00000920
p.125 「国持大名の改易と改易事情の伝達」
※「福嶋正則改易申渡」は以下でも参照可能です。
笠谷 和比古「徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察-1-」『日本研究』国際日本文化研究センター, (3), p35-63, 1990-09
http://doi.org/10.15055/00000927
p.48 史料8「福嶋正則改易申渡」(『東武実録』元和5年6月条)
②笠谷和比古 著『近世武家文書の研究』法政大学出版局, 1998.2【GB39-G17】
p.68 第2章 幕藩関係文書の諸類型 一.将軍発給文書 (四)条目. 2 条目の範囲と種類. (2) 様式上の種類. ロ 発布主体の別による分類. ①将軍の名で発布されるもの. (a)判物 ”判物は(中略)、条目については将軍秀忠の上野榛名山条目・松平忠輝改易条目((中略)、『武家厳制録』172号)(中略)などが数えられる。”
p.69 ”今日条目の正文なるものはほとんど伝存していないので、われわれはこれを写ないしは『御当家令状』等の編纂法令集によって見るほかはない。(後略)”
「松平忠輝改易条目」は『武家厳制録』に写しが収録されているようです。『武家厳制録』については資料③④に記述があり、翻刻は資料⑤に収録されています。
③国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典 第12巻』吉川弘文館, 1991.6【GB8-60】
p.106 「武家厳制録」”『御当家令条』とならぶ、江戸幕府初期の重要法令集。成立年代・編者とも明らかになし得ないが(後略)”
④日本古典文学大辞典編集委員会 編集『日本古典文学大辞典 第5』岩波書店, 1984.10【KG2-70】
p.246 「武家厳制録」”編者・成立年未詳。(中略)元和二年(1616)の松平忠輝改易、(中略)などの大名取り潰しの際の下知状・触状など、他の法令集に見られない布令・文書類も多く存する。(後略)”
⑤石井良助 校訂並編集『近世法制史料叢書. 第3』創文社, 1959【322.15-I586k-(t)】◎
p.69 武家厳制録 巻十七 御改易衆有之時御條目之部 一七二 一 上総介忠輝朝臣領地被 召上候時御條目 ※(53コマ目)
武家厳制録の写本は次のインターネットサイトでも閲覧可能なものがあります。
⑥新日本古典籍総合データベース 書誌ID:100199646
盛岡市中央公民館 マイクロ収集 2271 276-277コマ目
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100199646/viewer/276
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100199646/viewer/277
次のような忠輝の改易に触れた資料を通覧しましたが、「松平忠輝改易条目」の釈文や書き下し文、現代語訳は見当たりませんでした。
・児玉幸多, 木村礎 編『大名列伝. 第3 (悲劇篇)』人物往来社,1967【210.5-Ko484d】◎
※pp.135-242 松平忠輝、pp.161-164 改易と配流、pp.164-167 改易の真相
・信濃史料刊行会 編『信濃史料. 第22巻 (元和元年正月-元和4年6月)』信濃史料刊行会, 1964【215.2-Si459-S】◎
※pp.335-338 元和二年七月 冒頭”六日、幕府、松平忠輝ヲ伊勢朝熊ニ配シ~”とあり、「東武実録」からの引用があります。当該条目も掲載しています(pp.337-338)が、釈文や書き下し文、現代語訳はありません。
・斎木一馬・岩沢愿彦・戸原純一校訂『徳川諸家系譜 第2』続群書類従完成会, 1974【GB43-12】
・新潟県 編『新潟県史 資料編六 近世 1 (上越編)』新潟県, 1981【GC85-70】
※第1章p.4「松平越後少将(高田藩) 松平忠輝略系譜 上総介殿」
・新潟県 編『新潟県史. 通史編 3 (近世 1)』新潟県, 1987【GC85-70】
※pp.36-37「改易」
・新井白石『新編藩翰譜. 第5巻』人物往来社, 1968【288.3-A654h-(s)】◎
※pp.154-163「上総介殿」
①②以外にも、次のような大名改易について論じた資料を通覧しましたが、将軍が大名宛てに発した改易を通知する文書の写真・画像は見当たりませんでした。
・浪江 健雄「大名改易の制度的実態について (特集 中世・近世の政治と都市)」『関東地域史研究』関東地域史研究会 編 (通号 1) 1998.10 pp.71~138【Z71-C101】
・藤田 恒春「大名「改易」の構造」『史泉』関西大学史学・地理学会 編 (通号 65) 1987.3 pp.1~30【Z8-345】
・佐藤 宏之「〈近世大名改易〉再考--越後高田在番時代を素材に」『史海』東京学芸大学史学会 編 (53) 2006.5 pp.45~57【Z8-325】
・渡辺慶一 著『わが町の歴史上越』文一総合出版, 1982.1【GC87-160】◎
※pp.74-76 越後騒動の虚実
・浪江 健雄「江戸幕府法における改易について」『国士舘史学』国士舘大学日本史学会 編 (17):2013.3 pp.29-61【Z8-B112】
※p.41 表1「江戸初期の改易」(28件)、pp.55-56 表6「『断家譜』における改易」(75件)
・徳川義宣 著. 徳川家康文書の研究. 大日光. 日光東照宮 (69):1999.2 pp.9-13【Z8-63】
※p.11下段 ”関ケ原没後、諸大名に対し家康が除封・減封・安堵・加封したことは周知の史実であるが、それらの処遇を家康の名によって発給した文書も見出されない(後略)”
質問2について
資料⑦⑧が参考になると思われます。
〔資料〕
⑦上島有 著『中世アーカイブズ学序説』思文閣出版, 2015.4【GB39-L16】 ※巻末索引あり
本書では、武家の書札礼(書状の形式・用語などを規定した礼法式)について述べた、江戸初頭の成立にかかる『和簡礼経』という文献を引きつつ、多くの事例により、徳川歴代将軍の発した文書の封式、書式、折り方等について述べています。写真図版も収録しています。詳しくは同書をご覧ください。
pp.114-179 第2章 近世の武家書札礼と公帖 -南禅寺公帖の形態論的研究
pp.132-133 第3項 徳川家康・秀忠の公帖 ※p.132"これらの封式・書式はほとんど秀吉・秀次時代のものとかわるところはない。ただ、(後略)"
pp.133-134 第4項 本紙差出書の署名・署判 ※p.134 表3-3「公帖の本紙・封紙の差出書の署名・署判の仕方」(足利義輝から徳川吉宗までの一覧があります)
p.144 第5項 封紙ウワ書の差出書と宛書
pp.145-146 第6項 封式・書式の固定化
pp.180-210 第3章 近世の領知判物・朱印状と公帖
pp.180-187 第1節 朱印状と公帖の形態上の相違点
pp.180-181 第1項 料紙の折り方
pp.181-183 第2項 本紙宛書の書き方
pp.183-185 第3項 封紙ウワ書の書き方
pp.211-304 第4章 天龍寺の朱印状と公帖
pp.214-241 第1節 朱印状の封式-本紙・「包紙」の折り方とその宛名 ※”ここでは徳川歴代将軍の朱印状について述べることとする”(p.214)
⑧高橋修 [著].『近世武家文書の古文書学的研究』東北大学 , [1999]【UT51-2000-S314】◎
pp.6-60 第一章 徳川家康発給書状の研究
pp.61-75 第二章 徳川秀忠発給書状の研究
pp.76-99 第三章 徳川歴代将軍発給御内書の研究
※インターネットサイトの最終アクセスは2021年4月6日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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質問1について
①国立国会図書館デジタルコレクション
②レファレンス協同データベース
③国立公文書館
④東京大学史料編纂書
⑤国立歴史民俗博物館
⑥埼玉県立文書館
⑦蓬左文庫
⑧徳川美術館
⑨徳川ミュージアム
①~⑨のHPやデジタルアーカイブ等、「改易」「松平忠輝」で検索をしてみました。
他に、『国史大系』にはいっている『徳川実紀』、自館の歴史関係、博物館関係の資料を見てみました。
「改易」についての記述や松平忠輝についての記録、将軍の文書と思われるものはありますが、改易の文書の画像、通達文そのままの文章は見つけられませんでした。
質問2について
・上記⑤~⑨、自館の歴史関係、博物館関係の資料をあたりましたが、写真や図、形状に関することなど、見つけられませんでした。
・群馬県立文書館のHPで、過去の展示の資料が紹介されています。平成19年度収蔵資料展1「武家文書の世界1」の中に、御内書につけた「折紙」というものが表で紹介されています。
https://www.archives.pref.gunma.jp/exhibition/moyooshi-19-1
・徳島県立文書館の第15回資料紹介展「包む・封ずる」で中世や近世の封紙の写真と説明がありますが、将軍家のものがどんなものであったかはわかりません。
https://archive.bunmori.tokushima.jp/new_category/10_7.html
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000297890