①券番とは
◆参考資料1『福岡県百科事典』
p.679「券番 けんばん」の項目に以下の記述あり。
「芸妓(ぎ)組合の事務所。検番または見番とも書く。芸妓を派遣してその稼働時間を調べ,料金を徴収し,芸妓に代わって税の支払い,諸届けなど一切の事務をつかさどるところ。昔,時計のない時代には,線香の燃え具合で働いた時間を計ったので,線香場ともいった。」
②福岡・博多の券番の歴史について
◆参考資料2『博多風俗史 遊里編』
券番に関する記載は以下のとおり
p.158-160「相生券番」
p.161-163「中洲券番の設立」
p.164-166「相券の分裂と水券の設立」
p.242-244「芸者と料理屋の紛争」
p.244-247「新券番から博多券へ」
p.247-248「もめる券番の組織」
p.261-266「好景気とあき書き」
p.268-269「中券と東券の合併」
p.269-271「空襲下の柳町」
p.271-273「銃後の芸妓と券番の解散」
p.290-291「株式会社水茶屋券番」
p.291-292「旧券の設立」
p.292-295「芸者大いに怒る」
(※p.262「戦前の中洲界隈(昭和五年十二月現在)」の地図で「中洲券番」「博多券番」の位置が確認できる。)
p.337-355「博多風俗年表」から券番に関する項目を抜粋する。
「一八八九 明治二二 萱堂を相生町と改め相生券番を設立、芸妓六一名」
「一九○一 明治三四 水茶屋券番設立さる(八月)」
「一九一〇 明治四三 雇女券番(南券)設立」
「一九一六 大正五 中券から脱退した連中で新券(のちに博多券)をつくる」
「三番券と料理屋組合との紛争」
「一九一八 大正七 姪の浜券番が設立される」
「一九一九 大正八 南券番(雇女検番)解散を命ぜられる」
「一九三四 昭和九 博多券の名称を東券と改称する」
「一九三六 昭和一一 博多四券番税金不納同盟をおこす」
「一九三七 昭和一二 博多芸妓界の最盛期。四券番の総数八八〇名におよぶ(一月)」
「一九三八 昭和一三 中券と東券とが合併し中券一本となり旧博多券事務所は中洲演芸学校となる」
「一九四二 昭和一七 水茶屋券番閉鎖」
「一九四九 昭和二四 株式会社水茶屋券番設立される」
「一九五一 昭和二六 水茶屋券番中浜口に新築移転」
「一九五四 昭和二九 博多旧券設立される」
◆参考資料3『新修福岡市史 民俗編1』
「第二部界隈 第五章春吉―マチを担う」にp.509-510「春吉の券番と新柳町(清川)」の項目あり。
◆参考資料4所収「【昭和の記憶⑤】通学路だった遊廓『新柳町』界隈」渡邉弘子
p.16に「戦争がはげしくなった昭和十八年、福岡市では芸妓検番が閉鎖され、翌十九年には料亭も全部休業してしまった。だが、新柳町だけは軍人の慰安所として営業を許されていた。」とある。
◆参考資料5所収「博多風俗志78 明治時代の中洲芸者-中洲の歴史その十-」井上精三
p.22に「明治二十一年春には、釜屋町に四戸の芸者屋を新築し、二十八名の芸者をそろえ、町を相生町とし相生券番をつくった。」とある。
その他、p.22-23「券番風景」p.24「伸びる中洲券番」の見出しで記事あり。
◆参考資料6所収「博多風俗志83 中洲花柳界の最盛期-中洲の歴史その十五-」井上精三
p.21からp.24にかけて、第一次世界大戦の影響や大正五年の陸軍特別大演習で中洲券番が発展したこと、雇女(やとな)検番の成立と解散、中洲券番と東券番の合併などが開設されている。
p.22に「中洲券番の温習会(大正15年秋九州劇場にて)」、p.23に「雇女券番があった南新地」の写真あり。
◆参考資料7所収「博多風俗志102 中洲の戦後史その二-風俗営業-」井上精三
p.21に「政府の方針にそって、昭和二十二年一月十五日に中洲券番が設立された。中洲に家がないので事務所を春吉三番町に置いた。」とある。
p.22に「券番も戦前派と戦後派の芸妓の折合いがうまくいかず、戦前派は組合を脱退して別に旧券番を結成し、昭和二十九年六月から、中券と旧券の二つが対立した。」とある。
③現代の博多券番
◆参考資料8所収「お座敷閑話1 博多券番と芸者 中洲25時」博多券番 奴
博多券番の奴という芸者が検番について解説した記事。
p.83に博多券番について「お座敷の予約などの一切を取り仕切る事務所であり、それに踊りや唄などのお稽古もここでしています。博多の芸者はみなこの博多券番で働いているんですよ。」とある。
その他、芸者の仕事や、代金についても記述がある。
◆参考資料9所収「芸処に咲く華、博多券番」
p.8-9に「博多券番が知りたい」の項目があり、博多券番のなりたちと現在の券番について解説されている。
p.10-11に「新人さんに聞く『わたしが博多券番になった理由(わけ)』」の項目があり、芸妓見習4名のインタビュー記事がある。
p.12-13に「博多券番の『なぜ?』」の項目があり、一問一答形式で博多券番について解説されている。
◆参考資料10所収「深発見ふくおか その二十一 博多券番」
p.7-8にて券番の概要と芸妓の稽古、芸妓衆の祭等での活躍について記述されている。
◆参考資料11所収「特集 一度はしたい『お座敷遊び』」
p.11からp.17にかけて料亭での券番を窓口とした現在のお座敷遊びについて解説されている。
p.11及びp.20の注に博多券番の解説あり。
p.22-24「博多芸妓の歴史をたどる」の見出しで券番の誕生から現在の券番までが解説されている。
④その他
◆参考資料12『博多築港記念大博覧会水茶屋検番』
博多築港記念大博覧会(昭和11[1936]) 年)開催の際の水茶屋券番の長唄の歌詞、作詞、作曲、振付、照明などのスタッフ名が確認できる。
◆参考資料13『福岡100年』
以下の写真が掲載されている。
p.382「昭和4年 中洲検番の常盤津合奏」
p.383「博多の料亭、検番の主人たちの集まり」(昭和10年代)、「東中洲南新地」(昭和10年ごろ)