レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/09/15
- 登録日時
- 2022/10/21 00:30
- 更新日時
- 2022/10/21 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-220132
- 質問
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解決
明治,大正時代から現在までに,宮城県内で造立された疫病に関する石碑の情報が掲載されている資料を教えてほしい。
- 回答
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資料1から資料8に,宮城県内にある疫病に関する石碑等について記載がありました。
碑(塚)名、所在地、建立された時期(銘文中に記載のある場合)を案内し,関連する記述を紹介しました。
※【 】内は当館請求記号です。
資料1 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』17, 宮城県史刊行会, 1956【K201/ミ1/17】
pp.219-225「宮城縣の金石文-第四章 碑銘と墓碣銘-第十一節 塚碑銘-叢塚・飢渇供養の碑銘」の項
p.222「荒巻の叢塚(コレラ病死者の叢塚碑) 仙台市荒巻 明治十五年十一月」
「昔,世界各地に流行した病気に印度のコレラがあつた。わが国でも安政年中の大流行の時には死者が多かつたといわれる。明治以降では,明治十五年七月に多くの患者を出し仙台区内での病死者もおびたゞしい数に上つた。これを弔い遺骨を収めて合葬したのがこの叢塚である。(後略)」
p.223「疫癘供養碑 栗原郡若柳町柳徳寺 明治二十六年七月」
資料2 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』22, 宮城県史刊行会, 1962【K201/ミ1/22】
pp.315-320「災害金石志-災害金石文-コレラ」の項
「東雲寺名号碑 石巻市蛇田上中埣 安政六年」
「虎列刺焼場供養塔 仙台市荒巻本沢」,「荒巻邨叢塚碑 仙台市荒巻 明治十五年十一月」
「寿福寺紀念碑 石巻市北鰐山 明治十六年五月」
「円通院萬霊供養塔 古川市新沼 明治十五年九月」
「光明寺紀念碑 桃生郡河南町鹿又本町 明治十六年八月」
「柳徳寺疫癘供養碑 栗原郡若柳町川南 明治二十六年七月」
「徳照寺名号碑 仙台市六郷日辺 明治三十一年七月」
また,関連する下記の記述も紹介しました。
pp.315-316「虎列刺焼場供養塔(中略)明治以後のコレラ流行は十五年のそれが最大であつた。(中略)市内の罹病者九三〇名,うち四一〇名が死亡した。(中略)荒巻は火葬場の一ヶ所があつた所で,荒巻鉱泉の南,古内街道との十字路から七北田古街道を東へ丘陵地帯にはいり,丸太沢林道の追分東側にこの碑が立つている。(後略)」
pp.316-317「荒巻邨叢塚碑(中略)焼場供養塔の手前約八〇メートル,街道路傍西側の高所の中ほどに立つている。(中略)撰書をした西岡逾明は,当時の宮城控訴院長で佐賀県人,宜軒と号して詩書を善くし,維新直後の仙台詩壇作興に尽したので名高い。」
資料3 『宮城県医師会報』319, 宮城県医師会, 1972【PK490/ミ】
pp.25-26「会史編纂室 『コレラ地蔵』について(小野幾久蔵)」の項
「コレラ地蔵 加美郡小野田町西小野田小瀬開墾地帯の北端近く 明治十五年」
資料4 宮城県医師会編『宮城県医師会史』医療編, 宮城県医師会, 1975【K490/ミ1/2】
p.521「第四篇 防疫と伝染病-第二章 防疫と伝染病-第一節 コレラ-七,明治二十三年のコレラ流行について」の項
「(三)コレラ供養碑の建立 惨事を忘れずに,衛生に留意するようにとの配慮からか,地方によっては,民間有志の間でコレラ供養碑の建立が行われた。そのうちの一例をあげておく。栗原郡若柳町では明治十二年の本県最初の流行以来,コレラ以外に,天然痘の侵入も加えて,数百人の男女が伝染病の犠牲になった、明治二十六年若柳町の慈善家である千葉丑之助が発起人となり,若柳町にある鳳凰山柳徳寺に供養碑を建立した。(後略)」
資料5 村主巖『メモランダム』日曜随筆社, 1995【K490/1995.7】
pp.304-307「第四部 明治は遠く-荒巻コレラ碑に寄せて」の項
「(前略)火葬場には先に焼場供養塔が立てられたが,その二七六体を焼いた火葬場に,堆積した余骨と灰を集めた叢塚がこのコレラ碑である。(後略)」
資料6 阿曽沼要『仙台の医跡散策』丸善仙台出版サービスセンター(制作), 2007【K490/2007.Z】
pp.72-73「第五章 その他(泉区、太白区など)-ニ,水の森公園→叢塚,焼場供養塔(青葉区水の森三丁目)」の項
「(前略)明治十五年にコレラ(虎列刺)が大流行した際に,当局は伝染を防ぐため,壇に埋葬することを禁じ,ここに官設の焼場を設け,二七六人の屍体を焼いた。その屍体焼場の残骨と灰で築かれた塚の上に建てられたのがこの焼場供養塔である。(後略)」
資料7 阿曽沼要『墓誌・碑文・古地図にかいまみる仙台の医学史』丸善出版サービスセンター(制作), 2010【K490/2010.4】
「第二章 疫病に関わる碑文-一,叢塚と焼場供養塔-(一)はじめに」の項
p.23「仙台市青葉区北部の台地に,(中略)『叢塚』が建っている。さらに六〇歩ほど奥に入った散策路の分岐部に上部が欠けた自然石の断碑『焼場供養塔』がある。この碑は,明治十五年に仙台で流行したコレラで亡くなった二七六名の屍体を焼いたことの供養碑である。『叢塚』には漢文で虎列刺(コレラ)の由来や,その性質の酷烈なこと,そして堆積した残灰の上に碑を建てたこと,邨上左膳という旧仙台藩士族が『供養碑』を建てたことなどが刻まれている。」
なお,碑文の原文,解読文等が掲載されています。
資料8 『公衆衛生情報みやぎ』23, 宮城県公衆衛生協会,1978【PK498/コ】
pp.16-19「衛生史蹟めぐり ―荒牧の『叢塚』とその周辺に寄せて―(長谷川秀吉)」の項
なお,資料1,資料2は「国立国会図書館デジタルコレクション」から閲覧可能です。
『宮城県史』第17 (金石志)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2992580(最終アクセス日:2022年8月16日)
『宮城県史』第22 (災害)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2992601(最終アクセス日:2022年8月16日)
※いずれも参加館・個人送信限定公開の資料です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498 9版)
- 参考資料
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- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 17. 宮城県史刊行会, 1956【K201/ミ1/17】:
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 22. 宮城県史刊行会, 1962【K201/ミ1/22】:
- . 宮城県医師会報 319. 宮城県医師会, 1972.2【PK490/ミ】:
- 宮城県医師会/編. 宮城県医師会史 医療編. 宮城県医師会, 1975【K490/ミ1/2】:
- 村主 巖/著. メモランダム. 日曜随筆社, 1995.7【K490/1995.7】:
- 阿曽沼/要∥著. 仙台の医跡散策. 丸善仙台出版サービスセンター(制作), 2007.12【K490/2007.Z】:
- 阿曽沼 要∥著. 墓誌・碑文・古地図にかいまみる仙台の医学史. 丸善出版サービスセンター(制作), 2010.4【K490/2010.4】:
- . 公衆衛生情報みやぎ 23. 宮城県公衆衛生協会, 1978.11【PK498/コ】:
- 阿曽沼/要∥著. 漢碑文にみる仙台の医学史. 高橋印刷, 2007.6【K490/2007.6】:
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 18. 宮城県史刊行会, 1959【K201/ミ1/18】:
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編6. 仙台市, 2008.3【K225/セ1-13/6】:
- 仙台市史編纂委員会/編. 仙台市史 第2巻. 万葉堂書店, 1975【K225/セ1-5/2】:
- 仙台市史編纂委員会/編. 仙台市史 第4巻. 万葉堂書店, 1975【K225/セ1-5/4】:
- [青木大輔/著]. 仙台における医史の研究 第1輯. 青木大輔, [昭和]【K490/ア2】:
- 荒武/賢一朗?編. 近世日本の貧困と医療. 古今書院, 2019.2【210.5/2019.2】:
- 竹原/万雄?著. 明治時代の感染症クライシス. 蕃山房, 2015.6【K498/2015.6】:
- キーワード
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- 伝染性感染症
- 伝染病
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000322854