レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年03月20日
- 登録日時
- 2014/03/20 17:57
- 更新日時
- 2023/08/30 18:29
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-69
- 質問
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解決
京都の日赤病院がアメリカ軍に接収されていたとき、診察していた場所について知りたい。
- 回答
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京都第一赤十字病院(京都市東山区本町)は、昭和20年(1945)10月7日から昭和30年(1955)2月まで、進駐軍病院として接収されました。
その間、旧賀陽宮(かやのみや)邸(京都市東山区三十三間堂廻り町)の一部を借用し、外来診察を再開、昭和21年(1946)3月にはその全部を借り受けて内部を改装、60床を設けて入院診察も行いました。昭和26年(1951)に国から払い下げを受け、日本赤十字社の所有になりました。【資料1、3~13】
接収解除後も旧賀陽宮邸は京都第一赤十字病院七条分院として、昭和41年(1966)まで使用されていました。【資料1、2】
その後、昭和42年(1967)に広島県にある「みろくの里」へ移築されましたが、平成6年(1994)2月9日に全焼し、現存していません。【資料2、14】
- 回答プロセス
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●キーワード“京都 赤十字”で自館所蔵を検索する【資料1、2】
●京都に関する資料より【資料3~10】
【資料3~9】昭和25~30年版には京都第一赤十字病院、または第一赤十字病院の名で旧賀陽宮邸の住所(東山区三十三間堂廻町)、昭和35年には同院名で元々の住所(東山区本町)で記載されている。
●【資料10】の参考文献より【資料11、12】
●キーワード“賀陽宮邸 赤十字”で国立国会図書館デジタルコレクションを検索【資料13】
●キーワード“賀陽宮邸”でデータベース「朝日新聞クロスサーチ」を検索【資料14】
- 事前調査事項
- NDC
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- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498)
- 参考資料
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- 【資料1】『京都第一赤十字病院創立70周年記念誌』(創立70周年記念誌編集委員会/編 京都第一赤十字病院 2005)p34“病院接収期間(旧賀陽宮邸跡地での診療)”、p69“開設後の変遷”、p70“病院の年表「歩み」”
- 【資料2】『京都府赤十字血液センター30年史』(京都府赤十字血液センター 1992) p227、228 “賀陽宮邸は残っている”
- 【資料3】『京都年鑑 昭和25年版』(都新聞社 1949)p465“京都第一赤十字病院”
- 【資料4】『京都年鑑 昭和26年版』(都新聞社 1950)p467“第一赤十字病院”
- 【資料5】『京都年鑑 昭和27年版』(都新聞社 1951)p509“第一赤十字病院”
- 【資料6】『京都年鑑 昭和28年版』(都新聞社 1952)p491、492“第一赤十字病院”
- 【資料7】『京都年鑑 昭和29年版』(都新聞社 1953)p383“一般医療保護施設(病院)”
- 【資料8】『京都年鑑 昭和30年版』(都新聞社 1954)p438“医療施設(総合)”
- 【資料9】『京都年鑑 1960年版』(夕刊京都新聞社 1959)p353“京都第一赤十字病院”
- 【資料10】『米軍基地下の京都』(大内 照雄/著 文理閣 2017)p42“各施設への進駐状況”、p163“野戦病院となった第一日赤病院”
- 【資料11】『京都新聞 1954年3月24日朝刊』“米陸病(旧第一日赤)を返還 九年ぶり 市民へ朗報”
- 【資料12】『朝日新聞 1955年10月25日朝刊 京都版』““人間ドック”も設置 きょう日赤病院復元式”
- 【資料13】『日本赤十字社社史稿 第6巻 (昭和21年-昭和30年)』(日本赤十字社 1972)https://dl.ndl.go.jp/pid/9525981 (2023.3.30最終確認)
- 『朝日新聞 1994年2月9日夕刊』“旧賀陽宮邸を含む版画工房を全焼 広島”
- キーワード
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- 京都第一赤十字病院
- GHQ
- 占領期
- 進駐軍
- 旧賀陽宮邸
- 病院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000151014