レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年09月09日
- 登録日時
- 2023/01/13 15:34
- 更新日時
- 2023/01/13 16:16
- 管理番号
- 千県東-2022-0003
- 質問
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解決
1940~1945年の間、特設監視艦「黒潮部隊」として漁船が軍隊に徴用されていた。千葉県東部地域(銚子、飯岡、九十九里など)から徴用された漁船に関する資料が見たい。
- 回答
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以下の資料に記載がありました。
【資料1】戦没船を記録する会ホームページ「千葉県戦時船舶と徴用船・戦没船名簿(千葉県)」(https://senbotusen.web.fc2.com/html/siryo.html)
千葉県で徴用されたり戦没したりした船の名簿がありました。船種(漁船、汽船など)の記載もあります。
【資料2】『銚子市史 続 1 昭和前期』(銚子市 1983)
p497-500「漁船員の徴用」
太平洋戦争での銚子の漁船、および乗組員の徴用について書かれています。
【資料3】『幻の本土決戦 第7巻 房総半島の防衛』(石橋正一著 千葉日報社 1993)
p221-223「県内から4隻徴用」、p224-225「片貝の4漁船徴用」
山武郡片貝町(現山武郡九十九里町)から徴用された4隻の漁船についての記述がありました。
【資料4】『語り部がつづる郷土の戦時物語』(語り部がつづる郷土の戦時物語編纂委員会編 [千葉日報社] 2000)
p104-107 小川七郎「私の戦争体験記」
p106-107に「徴用された漁船の活躍」があり、「昭和十八年八月二十二日、海軍省兵備局、佐世保、呉の第四艦隊は、帆船と各地の漁船を徴用した。この中に九十九里から、長寿丸・長栄丸・源七丸が徴用されていた」「源七丸は…ニューギニア、ハルマヘラ等に荷物運搬に活躍したが、ハルマヘラ海で敵機の銃撃で沈没した」とあります。
【資料5】「戦時徴用船にも補償を」(『朝日新聞(千葉版)』1965(昭和40)年8月17日)p16
徴用された漁船に関する記事がありました。
「カツオ・マグロ漁船「第三千代丸」を十八年七月一日に陸軍船舶部隊に故大内猛船長ら十人の乗組員ぐるみ徴用された。」「戦時中に銚子港から軍に徴用された船は九十七隻で、うち四十一隻が沈没(市水産課調べ)している」
【資料6】『ちば・戦争とくらし』(千葉県教育文化センター 1987)※映像資料(千葉大学所蔵、内容未確認)
「[人]市原 悦子(1)民話の世界に溶け込んで(連載)」(『読売新聞(東京版)』夕刊 1987(昭和62)年8月20日)p1の中でこの資料が紹介されています。「太平洋戦争中、千葉県で起きた戦争の実態を風化させないようにと、県内の教育者のグループや市民団体が、映像をまとめたものである。…ビデオには、千人の死者を出した、千葉市への三度の空襲をはじめ、焼夷(しょうい)弾で失明した婦人や、銚子で船ごと徴用され、南の海で多くの友人を失った漁船員らの体験談が収録された。」
【資料7】『常民の戦争と海【聞書】徴用された小型木造船』(中村隆一郎著 東方出版 1993)
p219 あとがきに戦時徴用船の記録がほとんどない旨の記載がありました。
「紀州の小港や鹿児島や長崎、それに静岡や千葉といった地方の小港から徴用されていった、木の葉のような小型木造船のことは官民にわたってほとんど記録されていない。」
- 回答プロセス
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1 当館ホームぺージで公開している千葉県関係のデータベース「菜の花ライブラリー」(https://www.library.pref.chiba.lg.jp/nanohana/)を「特設監視船」「黒潮部隊」「太平洋戦争 船」で検索。「民間戦没船の記録伝える 元船員らが組織結成」(『読売新聞』1994(平成6)年3月31日)p25が見つかった。
その記事の中で「戦没船を記録する会」という組織と【資料7】を発見した。
2 「戦没船を記録する会」ホームぺージの活動年表(https://senbotusen.web.fc2.com/html/katudo.html)から、『知られざる戦没船の記録 上下』(没船を記録する会編 柘植書房 1995)を発見。徴用漁船に関する記述はあるものの、どこから徴用したかの記述は見つからなかった。
また、同ホームぺージの資料(https://senbotusen.web.fc2.com/html/siryo.html)より、【資料1】を発見。
3 【資料1】より、軍隊に徴用された船のことを「徴用船」ということがわかった。菜の花ライブラリーを「徴用船」で検索。【資料5】が見つかった。
4 レファレンス協同データベース(https://crd.ndl.go.jp/reference/)を「黒潮部隊」「徴用船」で検索。「(略)太平洋戦争中における紀伊長島地区からの徴用船の実態(徴用年月日、船種、乗組員、配属先、行動記録、戦没の有無等)がわかる資料がないか。」(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000289123)という質問が見つかった。日本海軍が戦時中に徴用した船のリストについて以下が紹介されていた。
『昭和18年6月1日 現在 徴傭船舶 名簿(海軍関係)』
『昭和19年6月1日現在 徴傭船舶名簿』
『昭和20年3月1日現在 一般徴傭船配属状況』
これらは国立公文書館アジア歴史資料センター(https://www.jacar.go.jp/)のウェブサイトにて閲覧できる。ただし船籍については記載がなく、地元(銚子、飯岡、九十九里など)の船かどうかは分からなかった。
また、同事例より『戦前船舶資料集』増刊104号(戦前船舶研究会 2004.2)に「日本海軍徴用船一覧表」が収録されているという情報を得た(内容は未確認)。
5 Googleで「黒潮部隊」を検索。「NHKスペシャル「船乗りたちの戦争~海に消えた6万人の命~」」(https://www.nhk.or.jp/special/detail/20180813.html)が見つかった。太平洋戦争中に海軍に徴用された漁師たち、通称「黒潮部隊」の物語。NHKオンデマンドで見られるが地元の資料ではない。
6 歴史事典や市町村史を調べる
請求記号C23「下総地方」の書架を探索し【資料2】を発見。
『昭和史の事典』(佐々木隆爾編 東京堂出版 1995)
目次から太平洋戦争、硫黄島戦を調べたがそれらしい記述は見つからなかった。
『九十九里町誌 総説編』(九十九里町誌編集委員会編 九十九里町 1975)
第二編、歴史的背景 五、太平洋戦争下の郷土p286にも記述は見つからなかった。
『九十九里町誌 各論編上巻』(九十九里町誌編集委員会編 九十九里町 1980)
第二編、第四章、大正・昭和時代の郷土p1191にも記述は見つからなかった。
『旭市史 第1巻 通史編・近代史料編』(旭市史編さん委員会編集 旭市役所 1980)
『旭市史 第2巻 近世北部史料編』(旭市史編さん委員会編集 旭市役所 1973)
『旭市史 第3巻 近世南部史料編 中世史料編』(旭市史編さん委員会編集 旭市役所 1975)
記述は見当たらない。
『飯岡町史』(飯岡町史編さん委員会編 飯岡町 1981)
第六節 戦争と郷土、四、太平洋戦争と郷土p1615にも記述は見つからなかった。
7 千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を全項目「九十九里」、資料種別「千葉県資料」で検索。
『基地九十九里』(鬼生田貞雄著 東和社 1953)記述は見つからなかった。
『九十九里浜の語部 羅津要塞重砲兵聯隊』(長者一九会編 長者一九会 1998)記述は見つからなかった。
8 請求記号C207「千葉県の歴史教育」の書架を探索し【資料3】を発見。
『千葉の戦後70年 語り継ぐ戦争体験 手賀沼ブックレット No.9』(大和田武士編著 たけしま出版 2016)記述は見つからなかった。
9 請求記号C39「千葉県の軍事」の書架を探索
『旭防空監視哨の記録』(福原勤著 福原勤 1979)記述は見つからなかった。
『解説・東京湾<守備>兵団』(高橋功著 [高橋功] 2007)p80に館山・千倉・白浜町・鴨川・湊の武装援漁に関する記述があるが、銚子、飯岡、九十九里の徴用漁船についての記述は見つからなかった。
『海軍陸戦隊戦車隊と館山海軍砲術学校 知られざる帝国海軍の戦車隊と戦車隊員』(菅谷雅彦著 [菅谷雅彦] 2012)記述は見つからなかった。
10 請求記号C96「千葉県の記録、手記」の書架を探索し、海軍関係・海匝周辺の地域資料を確認したところ、【資料4】を発見。
以下の資料も確認したが、記述は見つからなかった。
『大東亜戦争の追想 戦後五十周年記念文集』(白鳥正吉編 白鳥正吉 1998)
『大東亜戦争の追想 続編 戦後五十周年記念文集』(白鳥正吉編 ぺいじず 2002)
『時代を超えて 語り継ぐ平和の祈り・戦争体験記録集』(総務課編集 八日市場市 2000)
『市民が語る平和へのねがい 旭における戦災と戦時生活』(市民が語る平和へのねがい編集委員会編集 旭市 1997)
11 国立国会図書館のデジタルコレクションを調べられるデータベース「次世代デジタルライブラリー」の全文検索を「黒潮部隊」「特設監視船」で検索したが、関連する資料は見つからなかった。また「徴用船」&「銚子」「飯岡」「九十九里」でも検索したが、関連する資料は見つからなかった。
12 朝日クロスサーチ・ELDBデータベース・毎索を「徴用船 千葉」「徴用漁船」「黒潮部隊」「特設監視船」「徴用 船 九十九里」「徴用 船 飯岡」「徴用 船 銚子」で検索したところ、「[人]市原 悦子(1)民話の世界に溶け込んで(連載)」(『読売新聞(東京版)』夕刊 1987(昭和62)年8月20日)p1を発見。この記事より【資料6】を見つけ、千葉県内図書館横断検索で検索をしたところ千葉大学で所蔵があることがわかった。
<確認したがどこから徴用したかが明記されていない資料>
『戦時艦船喪失史』(池川信次郎著 元就出版社 2004)
『太平洋戦争喪われた日本船舶の記録』(宮本三夫著 成山堂書店 2009)
『太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑』(池田貞枝著 戦没遺体収揚委員会 1977)
『知られざる戦没船の記録 上巻』(戦没船を記録する会 ゲン・クリエイティブ編 柘植書房 1995)
『知られざる戦没船の記録 下巻』(戦没船を記録する会編 柘植書房 1995)
<確認したが、東総地域の記述がなかった資料>
『漁船の太平洋戦争』(服部雅編著 殉国漁船顕彰委員会 1992)
・半澤正男「素手で米機動部隊に立ち向った海の男たち 太平洋戦争中,知られざる「黒潮部隊」の活躍」(『海事資料館研究年報』Vol.22 1994)p8-16
黒潮部隊について、数名の軍人と漁船に乗っていた漁師をそのまま「軍属」にした、いわば人も船も丸抱えの即席、速成のものとの説明はあるが漁師の出身地などの記載はない。
・特設監視艇隊の戦闘(石井顕勇「硫黄島探訪」http://www.iwojima.jp/内の記事)
http://www.iwojima.jp/kuroshio.html
第22戦隊(通称:黒潮部隊)の創設、サイパン玉砕後の昭和19年夏から硫黄島戦の終了後に至るまで、小笠原近海で苦戦を続けた時期(監視艇の被害が最も大きかった時期でもある)を中心に紹介。
・特設監視艇
http://www.down.ne.jp/ish/ijn/mswar/toku/observate.html
昭和17年2月25日および4月1日の第22戦隊の編成表から特設監視艇一覧を作成(船名、総トン数などの記載あり。船主はほぼ空欄)
・『千葉県の歴史 資料編 近現代4』(千葉県史料研究財団編 千葉県 1997)
p955「漁業者ノ船員徴用ニ関スル件」
昭和十九年十二月二日付 千葉県水産業会指導部から各漁業会、漁業組合にあてたもの。
※参考資料末尾の数字は当館の資料番号です。
(インターネット最終アクセス:2022年11月24日)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 戦争.戦略.戦術 (391 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】戦没船を記録する会ホームぺージ「千葉県戦時船舶と徴用船・戦没船名簿(千葉県)」(https://senbotusen.web.fc2.com/html/siryo.html)
- 【資料2】『銚子市史 続 1 昭和前期』(銚子市 1983)(2190027934)
- 【資料3】『幻の本土決戦 第7巻 房総半島の防衛』(石橋正一著 千葉日報社 1993)(2100159592)
- 【資料4】『語り部がつづる郷土の戦時物語』(語り部がつづる郷土の戦時物語編纂委員会編 [千葉日報社] 2000)(2101193356)
- 【資料5】「戦時徴用船にも補償を」(『朝日新聞(千葉版)』1965(昭和40)年8月17日)p16
- 【資料6】『ちば・戦争とくらし』(千葉県教育文化センター 1987)※映像資料
- 【資料7】『常民の戦争と海【聞書】徴用された小型木造船』(中村 隆一郎著 東方出版 1993)(9101995375)
- キーワード
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- 黒潮部隊(クロシオブタイ)
- 徴用船(チョウヨウセン)
- 船舶-歴史(センパク レキシ)
- 太平洋戦争(1941-1945)(タイヘイヨウセンソウ 1941 1945)
- 特設監視艇(トクセツカンシテイ)
- 軍艦(グンカン)
- 海軍-日本(カイグン ニホン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000327299