レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年03月01日
- 登録日時
- 2024/03/07 15:23
- 更新日時
- 2024/03/07 15:23
- 管理番号
- 9000041988
- 質問
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未解決
武田信玄がほうとうを陣中食として広めたと聞いた。それについて書かれた資料があるか。
- 回答
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『山梨の郷土食』(依田萬代/著編集代表 山梨日日新聞社 2007年)p.6には、「戦国時代の武将武田信玄が食糧難の折、将兵の意気を高めるために作らせ、米作困難な山梨県下に広がったとされている。」との記述がある。
『残したい味』(南アルプス市食生活改善推進員会 [南アルプス] 2006年)p.2
『「やまなしの食」まるごと体験ハンドブック』(山梨県県民生活部消費生活安全課 2020年)p.16
『日本めん食文化の一三〇〇年』(奥村彪生/著 農山漁村文化協会 2014年)p.112
「富士吉田市史研究 第14号 富士吉田市史編さん室/編集 富士吉田市教育委員会 1999年)p.23
上記4点にも武田信玄がほうとうを広めたという伝説の記述はあるが、根拠となる資料については書かれていない。
『甲州食べもの紀行』(山梨県立博物館/編集 山梨県立博物館 2008年)pp.42-58には、武田信玄が普段どのような食事をしていたかを知る手がかりはほとんど残されていないとある。ほうとうが武田信玄の陣中食であったという話や信玄自ら刀で麺を切ったというような伝説の由来を、当時の歴史資料からはたどることができないとの記述もある。
「朝日新聞」2004年1月3日33面山梨版には、平安時代には貴族の間でほうとうに近い食べ物が普及しており、庶民には江戸時代中期以降に広まったとみられることが書かれている。ほうとうに類した料理を食べる地域が、武田信玄の勢力図と重なるものの、その当時は製粉技術が確立していなかったこと、武田信玄を由来とする説が1960年以降にしかないことなど、懐疑的な意見が掲載されている。
ほうとうが武田信玄の陣中食となったことから普及したという説について、確実なことは分からなかった。
- 回答プロセス
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1.地域資料を確認
・『山梨の郷土食』(依田萬代/著編集代表 山梨日日新聞社 2007年)p.6「戦国時代の武将武田信玄公が食糧難の戦の折、将兵の意気を高めるために作らせ、米作困難な山梨県下に広がったとされている。」
・『残したい味』(南アルプス市食生活改善推進員会 2006年)p.2「武田信玄公が川中島の合戦の折、将兵の意気を高めるために考え出した陣中食であったとか、ある地方では凶作続きで農民たちが苦しんでいるのを見た武田信玄公が、これを救うために指導した食べ物で、材料を細く長く切る際に信玄公自ら伝家の宝刀で切ったことから宝刀(ほうとう)の名前が生まれたなどと言う、おもしろい伝えもあります。」
・『「やまなしの食」まるごと体験ハンドブック』(山梨県県民生活部消費生活安全課 2020年)p.16「武田信玄が考案した陣中食であったとも言われていますが、文献上は江戸時代以降に多く登場します。」
・「富士吉田市史研究 第14号」(富士吉田市史編さん室/編集 富士吉田市教育委員会 1999年)pp.21~25には、ほうとうの由来を武田信玄と結びつける俗説が広く流布しているが、文字だけを手掛かりとした起源論には限界があると述べている。
・『甲州食べもの紀行ー山国の豊かな食文化ー』(山梨県立博物館、2008)pp.42-58には、信玄が日常どのような料理を食べていたか知る手掛かりはほとんど残されていないことが書かれている。『甲陽軍鑑』を参考に復元した饗宴料理について記載あり(カラー写真付き)。この中にほうとうのようなものはない。「戦国時代になると、小麦粉を粉にする製粉の技術と、石臼や搗き臼などの製粉具が急速に普及し、武士や僧侶などの一部の人たちがホウトウを食べていた可能性はあろう。とはいえ、これが武田信玄の陣中食であったという話や、信玄自らの刀で切ったというような伝説の由来を、少なくとも当時の歴史史料からはまったくたどることができない。」とあり。p.69 1815(文化12)年10月に書かれた泉光院の日記に「今夕は当国の名物ハウタウと云う馳走あり」の記録が見える。pp.81-83平安時代後期に編さんされた辞書『伊呂波字類抄』に「ハウタウ」の読みが記されていること、13世紀ころの料理書『厨事類記』には「バウタウ」と呼ばれるものの調理法が記されていることが書かれている。
2.食文化の麺類に関する本を調査
・『日本めん食文化の一三〇〇年 増補版』(奥村彪生/著 農山漁村文化協会 2014年)pp.101-137ほうとうの由来等について解説あり。p.112「かつての甲斐の国である甲府地方の言い伝えによると、この地でのほうとうの起こりは、戦国時代の武将であり、この地の守護大名であった武田信玄が戦場での糧食として用いたことに始まる、とされている。さもありなんの伝説である。信玄が朝廷より1578(天正6)年に位階従五位下を贈られている。その時に上洛してほうとうを食し、それを伝えたと信じられているのである。…」
3.新聞データベースを調査
〇山梨日日新聞縮刷版検索データベース
・2022年4月9日24面「ほうとう 謎に迫る 6世紀の中国にルーツ?」
・2007年9月25日◇山日子どもウイークリー「武田の歴史ほうとう 信玄が陣中食に?江戸時代から普及」
その他、武田信玄が陣中食としていたことに触れた記事多数あり。
〇朝日新聞クロスサーチ
・1995年3月2日「ルーツ 平安貴族が好む(山梨の食を考える ほうとう:3)」甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が京都の味を懐かしんでほうとうを作らせたという説、九州の「ほうちょう」から広がったという説の他、信玄が兵を進めた勢力範囲と一致すること、調理方法が手軽なうえ、栄養面にも優れているので「信玄説」を頭から否定できないとの記載あり。
・2004年1月3日山梨版33面「ほうとうのルーツはどこに(甲州歴史ミステリー:2)」平安時代、貴族の間でほうとうに近い食べ物が普及しており、庶民には江戸中期以降に普及したとみられることが書かれている。また、ほうとうに類した料理を食べる地域が信玄の勢力図と重なるが、信玄のころは製粉技術が確立していなかったこと、信玄を由来とする説が1960年以降にしかないことから、信玄との因果関係に懐疑的な意見の記載がある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 衣食住の習俗 (383 10版)
- 食品.料理 (596 10版)
- 参考資料
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依田萬代 著作編集代表. 山梨の郷土食. 山梨日日新聞社, 2007.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009217850 , ISBN 978-4-89710-533-8 (p.6.請求記号K59/ヨダ/.資料番号0104214192.) -
残したい味 : 昔なつかしい南アルプスの味. 郷土料理冊子.南アルプス市食生活改善推進員会,2006.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I19111009950729017 (p.2.請求記号K59/ミナ/.資料番号0104359070.) -
「やまなしの食」まるごと体験ハンドブック. 山梨県県民生活部消費生活安全課, 2020.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I032379981 (p.16.請求記号Y59/ヤマ/.資料番号0106924343.) -
富士吉田市史編さん室 編集.富士吉田市史研究. 第14号.富士吉田市教育委員会,1999.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I19111009910036597 (pp.21-50.請求記号K296/フジ/14.資料番号0103493946.) -
山梨県立博物館 編. 甲州食べもの紀行 : 山国の豊かな食文化. 山梨県立博物館, 2008.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010690429 (p.42,p.69,pp.81-83.請求記号K38/ヤマ/.資料番号0104522172.) -
奥村彪生 著. 日本めん食文化の一三〇〇年 増補版. 農山漁村文化協会, 2014.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I025939174 , ISBN 978-4-540-11173-0 (pp.101-137.請求記号383.8/オク/.資料番号0106470941.)
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依田萬代 著作編集代表. 山梨の郷土食. 山梨日日新聞社, 2007.
- キーワード
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- 郷土料理
- ほうとう
- 武田信玄
- 陣中食
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000347120