以下の資料に高木六左衛門に関する記述を確認しました。
ただし、工事失敗と自害の言い伝えに関する記述がほとんどであり、経歴・人物像等に関する記述の裏付けとなる史料の情報は確認できませんでした。
・『藤原町史 通史編』(藤原町史編さん委員会/編 藤原町 1983)
「第二編 近世」「第二章 災害と農民生活」「第二節 天和の大地震と街道断絶」「二 五十里湖の水抜工事」の中に「高木六左衛門の伝説」の項があります。(p.217-218)
高木六左衛門について「五十里湖水抜工事の現地責任者」としていますが、その存在については「人物の行状を伝える記述は、『会津藩家世実紀』をはじめとして、地元村々に伝えられてきた地方文書の中にひとことも出てこない」とあります。
『会津藩家世実紀』は「会津藩の正式記録であり、…(中略)…切腹、蟄居、追放などその一つ一つに理由を明記して」いる資料であるとのことです。
・『栃木県歴史人物事典』(栃木県歴史人物事典編纂委員会/編集 下野新聞社 1995)
p.362-363「高木六左衛門」の項があり、「早川粂之助、美濃守某など別名も伝えられるが、実在の確証は少ない。」との記述があります。
・『川の碑』(川の碑編集委員会/編 山海堂 1997)
p.174「B-25 高木六左衛門の墓」の項があり、「五十里関所の支配頭」との記述があります。
・『戊辰秘話 日光山麓の戦』(田辺昇吉/著 板橋文化財保護協会 1977)
p.302、布坂山に関する解説の中に高木六左衛門の自殺についての記述があります。
・『大日光 36~40号』(日光東照宮/編、発行 1971)
39号に森豊/著「日光の災害」を収録。(p.54-63)
文中に高木六左衛門の自殺についての記述があります。
・『五十里湖水』(藤原町文化財調査委員会/編、発行 1970)
「三、五十里湖生成」の項に、堀割工事中止の責を負って自殺した武士について「会津藩奉行早川粂之助という名を以て傳へられ、又一説には美濃守某とも言はれている。」とあります。(p.18)
なお、この武士に関する記録については「記録があるとは聞いて居るが此稿までには夫を見る機会はなかつた。」としています。(p.17)
・『五十里湖洪水記 享保秘話』(高橋英男/著 新生社 1954)
藤原町観光協会会長である著者が作成した小冊子です。
高木六左衛門の着任から切腹までの過程が地域住民との関わりを含めて物語風に記されています。(p.3-8)
出典資料に関する情報がないため、史実に基づいた記述であるかは不明です。
・『栃木縣史 第1巻(地理編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
p.284に自害した会津藩の幕臣と供養の碑に関する記述がありますが、幕臣の名前については確認できませんでした。
3 その他
以下の資料もお調べしましたが、お求めの情報に関する記述は確認できませんでした。
ご参考までに、関連の項目や記述を確認した資料は以下のとおりです。
・『宇都宮郷土史』(徳田浩淳/著 ヨークベニマル 1996)※文化新報社(1959)、大和学芸図書(1979)の再編復刻版
p.129-130「五十里洪水」の項あり。
・『栃木県史 史料編 近世1』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1974)
p.844-845「十七 享保八年八月 五十里湖洪水の事」(出典『宇都宮志料 巻之五』)の項あり。
・『水との闘い 西鬼怒川土地改良区沿革概史』(西鬼怒川土地改良区/編、出版 1975)
p.16-17「五十里洪水」の項あり。
・『会津人物事典 武人編』(小島一男/著 歴史春秋出版 1993)
関連事例:
江戸時代の災害、五十里洪水の絵図を見たい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000272052