レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/09/09
- 登録日時
- 2013/03/29 00:30
- 更新日時
- 2013/07/11 11:17
- 管理番号
- 千県東-2012-0007
- 質問
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解決
飯岡石について知りたい。また、小学生が飯岡石を積み上げて堤防を造った写真をみたい。
- 回答
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『飯岡海岸の変遷』のp5に「1931年(昭和6年)この護岸工事がはじまって3年目、当時の飯岡小学校の校長先生は児童に護岸の重要なことを身をもって知らせるため、下永井海岸の波止崎(竜王岬)石積み運動を始めた。体育の時間に組交代で波止崎に行き、近くの石を運ばせ、波止崎にこれを積み上げさせて児童達に町を守る自負心を持たせた(別冊「われらが波止」)。」との記載があります。また、p15に「昭和6年頃小学生による石積み風景」の写真があります。
『日本の海岸はいま… 続 九十九里浜が消える!? 漁港と海岸線の変遷』の「飯岡漁港」のp44に「かつて飯岡の海岸には、飯岡石と呼ばれる扁平の凝灰岩が多量に堆積していた。漁村ではこの石を防風防砂のための石垣や、屋根の置石などに利用していたが、飯岡漁港の海岸工事の影響で飯岡石は姿を消し、現在では見ることができない。」との記載があります。写真が2枚掲載されています。
また、「刑部岬」のp47に「1931年(昭和6年)頃の小学生による波止を築く石積み風景」の写真があります。
『飯岡海岸の変遷』p15に掲載されている写真と同じものです。
『飯岡海岸誌』のp2に「海岸低質は、行部岬附近に露出せる青色軟岩質土丹層が東より西に傾斜して下り、下永井中央部より徐々に上部細砂の層を増し、平松附近に於て砂層厚3m程度を有するに至っている。この土丹層上、細部砂層中に、随円形扁平の玉石が含まれているが、此の層は、飯岡海岸地形のみに限られたる局部的なもので、飯岡石と俗称している。思考するに屏風浦断崖の欠崩につれて、その欠崩層中の固い部分が海浪に、洗われて、当海岸に漂着せしものの様で、昔より寄石とよばれて、過去に於ける護岸工事の重要資材でもあった。…」との記載がありました。
『千葉の自然をたずねて』のp267に「むかしはこのあたりの民家では飯岡石とよばれるかたい積岩を積み上げて石塀にしていました。(図11-33 飯岡石で作られた塀)…」との記載があります。
また以下の資料に飯岡石について簡易な記述があります。
『石の俗称辞典』「飯岡石(いいおかいし,千葉県)p13
『飯岡石:郷土史再考』「三 飯岡石の生まれは海の底」p13-14
『飯岡町史』「飯岡石」p12-13
このほか、千葉県立図書館ホームページの菜の花ライブラリーで「飯岡石」を検索すると、11件ヒットします。
飯岡石の保存などの記事です。
- 回答プロセス
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千葉県立図書館OPACを「飯岡石」「飯岡」「飯岡海岸」などのキーワードで検索。またNDC458の棚をブラウジング。
- 事前調査事項
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『飯岡町史』は調査済
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 岩石学 (458 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『飯岡海岸の変遷』(千葉県海上郡飯岡町 2000)(2101221227)
- 【資料2】『日本の海岸はいま… 続 九十九里浜が消える!? 漁港と海岸線の変遷』』(日本財団海洋船舶部国内事業課リサーチチーム 2002)(2101690146)
- 【資料3】『飯岡海岸誌』(千葉県土木部 1955 複製)(2101192537)
- 【資料4】『千葉の自然をたずねて』(築地書館 1992)(2100181154)
- 【資料5】『石の俗称辞典:面白い雲根志の世界』(加藤 碵一、遠藤祐二編 愛智出版 1999)(2101218615)
- 【資料6】『飯岡石:郷土史再考』(鎌田忠治著 崙書房 1988)(1100559037)
- 【資料7】『飯岡町史』(飯岡町史編さん委員会編 飯岡町 1981)(2190027961)
- キーワード
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- 飯岡石(イイオカイシ)
- 岩石(ガンセキ)
- 千葉県-飯岡町(現・旭市)(チバケン イイオカマチ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000129815