レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/11/10
- 登録日時
- 2023/10/08 00:30
- 更新日時
- 2023/10/08 10:23
- 管理番号
- 0000001549
- 質問
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解決
金沢図屏風の神明宮の前に小便桶がある。京都では明治4年の解放令や博覧会を機に、公衆トイレ設置に政策が進むが、石川県の事例を調べたい。
特に近世において、現在の公衆便所のルーツとも云える小便の設置経過がわかる史料があれば教えてほしい。また、明治に入り、京都や滋賀では、入国した外国人の目を意識してか、小便桶に囲いを設け、また、本格的な建屋を建てるよう命じている。石川県の場合は、そのように県令があったのか、教えてほしい。
- 回答
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(1)『金沢叢語』下編 p71に、
「無蓋糞桶及共同便所」という項に、「従来人糞を運ぶに蓋のない桶に容れて市中を擔行してゐたので明治六年三月から桶に蓋をなさしめた、またこの月中山守成等は共同便所を各所に設置した、市民が衛生に意を留めたのは恐らくこの頃に始まった」とある。
(2)『金沢市史』 現代篇上 p350に
「明治六年、区長中山守成らの主唱で金沢市内各所に共同便所がつくられたが」という記述あり。
(3)『石川百年史』p87
「六年三月区長中山守成の建言で金沢区内各所に共同便所をつくる」とある。
(4)近世金沢の小便桶設置に関する資料について
①天野武「金沢図屏風にみられる生活と風俗」(『金沢図?風』所収)p170には、「神明宮前の路上で目をひくのは、四か所にタゴケ(放尿用桶)が置かれていることである(第166図)。タゴケは公衆便所に相当するといってもよく、神明宮前ということで汚れを嫌い特に置かれたのであろう。タゴケをめがけて立小便をしている様も描かれている。」とありますが、タゴケの由来等についてはふれていません。
②田中喜男『金沢町人の世界』p153~154「屎尿処理」の項に、以下のような記事があります。
・能登屋甚三郎は、元治元年(1864)11月18日の日記に「午後、妻女しなが「大衆目屎しや」へ行ったと書いている。」
・「金沢図屏風」の肥桶荷う農民の姿にふれ、「重い荷車は橋番により通行を停止された。重い荷車は橋の外側に置き、商品は荷挽えして運んだ。肥車も橋の外側に置いたまま、農民は肥桶を荷い両大橋内の町家から屎尿を集めた。このため、金沢城下はこのような肥桶が行き交い、その臭いはただならぬものがあったという。明治六年(一八七三)三月、ようやく蓋のある肥桶の使用が命じられた。」
・「金沢城下町での屎尿の汲みとりは農民との契約で始まる。契約した農民にとり町家は”とくい先”となり、前述のように町家は農家を”こやし屋”と呼んだ。(後略)」
以上のような記載は見られますが、小便桶設置の経過を知る資料は見つかりませんでした。
③当館所蔵の古文書について
「屎」で検索すると以下の資料8件がヒットしますが、いずれも屎物の流通の資料であり、小便桶に関する資料はありません。
https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/search?class_doc=B&q=kw_free%20p%20%27%E5%B1%8E%27&rows=200&vt=l 【2022/11/1確認】
(5)近代の共同便所設置までに関する図書について
①和田文次郎『金沢叢語』下編 p71「無蓋糞桶及共同便所」という項に、「従来人糞を運ぶに蓋のない桶に容れて市中を擔行してゐたので明治六年三月から桶に蓋をなさしめた、またこの月中山守成等は共同便所を各所に設置した、市民が衛生に意を留めたのは恐らくこの頃に始まった」とあります。
②上記中山守成は区長だったので(『金沢市史』 現代篇上p350)、奥田晴樹『明治維新と府県制度の成立』の「第四章初期石川県の郡村統治」(p259~288)を確認しました。共同便所に関する記載はありませんでしたが、明治6年11月の「区戸長の服務心得」(p269~274)に、「下水填閼ナキ様、常ニ浚渫シ、市街人家稠密ノ地ハ猶更汚穢ヲ除キ」という記載があります。
③松村敏「明治期後期金沢の市行政・地域社会・住民組織」(『近代日本の地方都市』所収)には、「衛生行政と衛生組合」(p116~118)という項があり、1887年4月の石川県「衛生組合規則」以降の衛生行政に関する記述があります。
④『石川県警察史』上巻p674「清潔法と環境衛生」の項によりますと、「(明治)二〇年四月には「市街清潔法」が県令で交付されている。(中略)下水道・厠囲・汚水溜・肥溜に構造・芥溜位置と掃除の方法をきめたものであった。」と記載されています。
(6)近代の行政資料・布達・県令等について
当館にてすべての内容を確認することはできませんので、収録資料のご紹介にとどめさせていただきます。
①当館所蔵歴史公文書より、「屎」「小便」「便所」を検索キーに検索しましたが、ヒットしませんでした。
以下に明治期の歴史公文書の簿冊一覧のURLをお送りします。簿冊に含まれる件名については、興味ある簿冊をクリックして詳細情報をご覧いただき、「+関連情報」というボタンをクリックしていただくと、画面下部にその簿冊の文書件名の一覧が表示されます。
https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/search?class_doc=C&rows=200&q=kw_date+rng+%2718680101%27+%2719121231%27&class_type=21&vt=l&sf=sort_kw_date_a
※閲覧をご希望の文書がありましたら、詳細情報画面より「この資料の閲覧を依頼する」というボタンをクリックして別途閲覧請求をお願いいたします。
②『現行石川県令類纂』
※明治11年12月7日~22年6月の布達・県令を編纂したものです。
・石川県令第83号20年4月30日(7月1日施行)(p213~216)「道路取扱規則」
第24条に「国県道ニ沿フタル場所ニ肥桶ノ類ヲ置クヘカラス、其他ノ道路ニ沿フタル場所ニ於テハ圍ヲ無シ往来ニ露ハ可カラス」とあります。
・石川県令第78号20年4月29日(p219~221)「市街清潔法」
厠窩の構造・清掃などに関する規定が掲載されています。
③『石川県令達全書』明治22年~ 石川県 1890~
※明治40年まで所蔵しています。
④『石川県史料』第1~4巻 石川県立図書館 1971~1974
⑤『金沢市史』資料編11 金沢市史編さん委員会編 金沢市 1999
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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国立公文書館所蔵の「石川県史料」、国会図書館所蔵の「金沢叢語」 県立図書館へ電話照会した際に、教えて頂いた。
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 政治 (31)
- 参考資料
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- 1 金沢叢語 和田/文次郎∥著 加越能史談会 1925.11 K222/11
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2 金沢市史 現代篇上 金沢市史編さん審議委員会∥編 金沢市 1969 K222/25/1-1 -
3 石川百年史 石林 文吉∥著 石川県公民館連合会 1972 K209/22 -
4 金沢図?風 豊田/武?監修 文一総合出版 1977 KA758/1 -
5 金沢町人の世界 田中 喜男∥著 国書刊行会 1988.7 K222/91 -
6 明治維新と府県制度の成立 奥田/晴樹?著 角川文化振興財団 2018.12 318.1/オク メ -
7 近代日本の地方都市 橋本/哲哉?編 日本経済評論社 2006.5 K222/1032 -
8 石川県警察史 上巻 石川県警察史編さん委員会∥編 川 良雄∥執筆 石川県警察本部 1974.2 K317/41/1 -
9 現行石川県令類纂 石川県第一部文書課∥編 石川県第一部文書課 1890 K320/20 -
10 石川県令達全書 明治22年 石川県∥編 石川県 1909.5 K320.1/1/M22 -
11 石川県令達全書 明治23年 石川県∥編 石川県 1898.4 K320.1/1/M23 -
12 石川県令達全書 明治24年 石川県∥編 石川県 1898.4 K320.1/1/M24 -
13 石川県令達全書 明治28年 石川県∥編 石川県 1896.4 K320.1/1/M28 -
14 石川県令達全書 明治29年 石川県∥編 石川県 1897.2 K320.1/1/M29 -
15 石川県令達全書 明治30年 石川県∥編 石川県 1899.4 K320.1/1/M30 -
16 石川県史料 第1巻 石川県立図書館∥編 石川県立図書館 1971 K209/21/1 -
17 石川県史料 第2巻 石川県立図書館∥編 石川県立図書館 1972 K209/21/2 -
18 石川県史料 第3巻 石川県立図書館∥編 石川県立図書館 1973 K209/21/3 -
19 石川県史料 第4巻 石川県立図書館∥編 石川県立図書館 1974 K209/21/4 -
20 金沢市史 資料編11 金沢市史編さん委員会?編集 金沢市 1999.3 K222/125/2-11
- キーワード
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- 金沢城下図屏風
- 公衆トイレ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000339513