レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/08/23
- 登録日時
- 2023/03/30 00:30
- 更新日時
- 2023/03/30 17:25
- 管理番号
- 0000001522
- 質問
-
未解決
駄菓子の「当たり付きお菓子」はいつから、なぜ当たりつきになったのかを知りたい。
例えば宝くじが富くじからだったように、起源を知りたい。
駄菓子については調べてみたが、当たり付きお菓子については分からなかった。
- 回答
-
当館所蔵資料内で調べたが、なぜお菓子に当たりをつけ始めたのか、いつから当たりをつけ始めたのか、その起源が明確に記された資料は見当たらなかった。
以下、調査内容を記す。
①当たりつきお菓子について
『よくわかる児童文化』
P.158 「飴から出ている糸を引くことで、大きさや形状がさまざまな飴を引き当てる糸引き飴や、中にどんなおもちゃが入っているのか煎餅を割った後に出てくる玩具に一喜一憂させるガラガラ煎餅など、子どもたちの射幸心をあおる商品が、明治時代から存在してきた。」
P.159 「駄菓子屋で買う駄菓子には大手菓子メーカーのものとはひと味違う楽しみがある。その一つが「当て物(あてもん)」である」
『モノと子どもの昭和史』
P.234 「駄菓子の一番の魅力はアテモノ(仙台ではトツケモノという)」
『駄菓子屋・読み物と子どもの近代』
P.157 「いまでも子どもたちの食玩には欠かせない当たりくじやおまけと同様に、子どもたちの射幸心をあおって人気だったものに、「当てもの」がある。」
『子どもの生活史 明治から平成』
P.184 「『あてもの』の一本むき、あんこ玉、みそまつ。細いびん詰めの色つきカンテン。」
これらは明治期~昭和にかけての子どもたちの生活について書かれた資料であり、起源については明治期以前に遡る必要がある。
②駄菓子の起源
『日本の「事始め」物語』
P.204 「旧幕時代からあったので、起源はハッキリしない。」
『ものしり事典 飲食篇』
P.186 「徳川時代には上菓子司をのぞくほか、一ぱんには白砂糖を使用することを法令で禁止されていたので、統制外の黒砂糖をもちいた下級品のことを「雑菓子」と呼んだのにはじまる。その雑菓子の名は元禄年間の國華萬葉期のなかに初めて見えている。」
駄菓子は江戸時代には存在していたことが分かる。
③駄菓子屋の起源
『たべもの起源事典 日本編』
P.427 「江戸中期の文化・文政年間(1804~31)頃に、屋台売り・振り売りの一文菓子が、庶民に親しまれ普及する。その後、神田豊島町・大和町・竜閑町などの路地裏に、数十軒の小さな駄菓子屋が軒を連ねる。」
『江戸と東京風俗野史』
P.313~315 「子供を集めた駄菓子店の図」「駄菓子屋で売る菓子の種類」の絵図あり。
P.316~317 江戸時代と明治初期の駄菓子屋 に、駄菓子屋についての詳細な説明、「ガラガラせんべい」「あてもの」「水飴」について記載がある。
駄菓子屋も江戸時代中期には存在していたことが分かる。
④あてものとは
『大衆文化事典』
・P.20 あてもの 「いわゆる駄菓子屋に陳列される子ども向けの食べものに付随するある種のゲーム性、ギャンブル性をともなった仕掛け、あるいはそのような仕掛けをもった食べもの。」
・P.212 クジ玩具 「30~100位の単位でワンセットとなり、クジによって玩具や菓子の当たり、外れを楽しむ「あてもの」と一般にいわれる遊び。」
・P.473 駄菓子屋 「「あてもの」とよばれる、うまく当たると元手より価値のある商品やより多くの菓子などがもらえるクジは、人気商品の一つであった。」
⑤くじ文化
『子どもたちの文化史 玩具にみる日本の近代』
・P.244~ 「室町時代から江戸時代にかけて、正月に行われた福引の一種に宝引がある。これは数本~十数本の細い縄を束ねて、その中のどれかに橙の実などの景品、または穴あき銭などを付けておき、それを参加者に自由に選ばせ、引き当てた者を勝ちとした。」「宝引は往環・辻または空地・広場で行われ、集客のため独楽廻し芸をともなうことが多く、それゆえ子どもも盛んに興じていた様子がわかる。」「森山孝盛『賤のをだ巻』では正月になると「あめ宝引」と称して辻々や橋際などに飴屋が現れ、子どもが多く集ったとしている(『日本随筆大成』第二期七巻、吉川弘文館、一九七四年)」
・P.254 「幕末の町なかや寺社の境内・門前では景品や少額の金銭を賭ける賭博が流行し、その景品も菓子や飴・果物など子どもをも対象としうるものとして展開をみせていったところに特徴があるといえよう。」
・P.254 「幕末の段階ですでにくじ類の賭博や宝引は子どもの参加も容易であったことから、子どもの遊びに偽装したものが多くなる傾向にあった。つまり、屋台などで景品を賭ける当て物であれば、賭博に該当しないわけで、明治・大正期には金銭賭博とは区別した展開をみせていったのである。そして、その主な対象が子どもを中心とする福引・宝引類で、縁日を主な拠点に多様なものを生み出していった。」
・P.260 「近代以降は賭博とは厳密に切り離され、縁日の屋台を舞台に新たな展開をみせたことを指摘した。そしてこれらを支えたのは十九世紀に普及したかわら版に代表される簡易な印刷文化の進展にあるといえるのである。」
『おもちゃ博物館 駄菓子屋と縁日の玩具Ⅱ』
P.37 「人形宝引(ほうびき)-橙(だいだい)が付いた糸を引き当てると人形が当たるくじ引」 『絵本都草紙』の図あり
以上から、当館の調査では賭博の「宝引」「あめ宝引」が、子どもに向けたいわゆる「当たり付きお菓子」に近しい物の一番古い記録である。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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駄菓子の本は色々見てみたが、駄菓子ができてからの事しか載っていない。また、当たりつきお菓子のことも分からなかった。
- NDC
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- 風俗習慣.民俗学.民族学 (38 9版)
- 参考資料
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- 1 よくわかる児童文化 川勝/泰介?編著 ミネルヴァ書房 2020.11 384.5/カワ ヨ p.158-p.159
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2 モノと子どもの昭和史 天野/正子?著 石谷/二郎?著 平凡社 2015.3 384.5/アマ モ p.234 -
3 駄菓子屋・読み物と子どもの近代 加藤/理?著 青弓社 2000.5 384.5/10012 p.157 -
4 子どもの生活史 深谷/昌志?著 黎明書房 1996.9 371.4/652 p.184 -
5 日本の“事始め”物語 泉/欣七郎?共編 千田/健?共編 日本情報センター 1968 031.4/19 p.204 -
6 ものしり事典 飲食篇 日置/昌一?著 河出書房 1953 031.4/2/8 p.186-p.187 -
7 たべもの起源事典 日本編 岡田/哲?著 筑摩書房 2013.5 B383.8/オカ タ p.427 -
8 江戸と東京風俗野史 伊藤/晴雨?著 有光書房 1967 382.1/73 p.313-p.317 -
9 大衆文化事典 石川/弘義?[ほか]編集 弘文堂 1991.2 361.5/イシ タ p.20,212,473 -
10 子どもたちの文化史 是澤/博昭?編 日高/真吾?編 臨川書店 2019.3 384.55/コレ コ p.236~ -
11 おもちゃ博物館 21 多田/敏捷?編 京都書院 1992.8 759/109/21 p.37 「人形宝引」の図
- キーワード
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- 駄菓子
- 当たり付き
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000331228