レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年01月18日
- 登録日時
- 2024/01/18 13:22
- 更新日時
- 2024/03/14 09:44
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-170
- 質問
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解決
第二次世界大戦下において、京都市からの学童疎開について知りたい。
- 回答
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昭和19年(1944)政府は、戦況の悪化により国民を避難させるため、全国13都市を疎開都市に指定し、幼児・子ども・妊婦に対し、地方に住む縁故者のもとへ移住させることをすすめました。京都は昭和20年(1945)3月に疎開都市に指定され、縁故者がおらず疎開できない国民学校初等科3年生から6年生までで、保護者の申請があった学童を対象に、京都府下の各地へ学校ごとの集団で疎開させる“学童疎開”が行われました。【資料1~6、9】
昭和20年(1945)3月に第一次疎開が、同年8月に第二次疎開が実施されました。記録から、朝6時の起床から夜8時(又は9時)の就寝までの集団生活の様子や、学童が疎開先の学校に通学したことがわかります。疎開先、人数なども確認できます。【資料1、2、4~6、8、9】【参考ウェブサイト1】
同年10月に疎開先からの引き揚げが始まり、10月23日に学童疎開は終結しました。【資料2、3、7、9、10】
- 回答プロセス
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●当館所蔵の郷土資料をキーワード検索“学童疎開”、“集団疎開”・・・【資料1、2】
●当館の郷土資料NDC210.7、216.2の書架をブラウジング・・・【資料3~7】
【資料4、5】学童疎開状況の表あり。各学校の疎開先、人数の記載あり。
●レファレンス協同データベース“学童疎開”、“集団疎開”検索・・・【資料8】
【資料8】“学童疎開先一覧表”に京都市の一覧あり。学校ごとの疎開先、人数の記載あり。
●京都市学校歴史博物館のサイトを確認・・・【参考ウェブサイト1】
参考文献『学校歴史資料実態にともなう参考資料Ⅱ』・・・【資料9】
●【資料7、9】の記述より、【資料10】で当時の新聞記事を確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 教育史.事情 (372)
- 幼児.初等.中等教育 (376)
- 参考資料
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- 【資料1】『語り伝える京都の戦争 1』(久津間 保治/著 かもがわ出版 1996)p47~50“「少国民」と学童疎開”、p228~238“第八章 府内各地へ続々と集団疎開”
- 【資料2】『戦後京都市教育史資料 1』(京都市教育研究所 1975)p1~344“(1)学童集団疎開資料集”
- 【資料3】『語りつぐ京都の戦争と平和』(戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会/編 つむぎ出版 2010)p263~265“学童疎開”
- 【資料4】『京都の歴史 9』(京都市/編 京都市史編さん所 1980)p251~255“学童の集団疎開”
- 【資料5】『かくされた空襲と原爆』(小林 啓治/著、鈴木 哲也/著 機関紙共同出版 1993)p111~114“親元を離れ、おなかをすかした子どもたち―学童疎開”、p115“学童疎開状況”
- 【資料6】『京都府百年の資料 5』(京都府立総合資料館/編集 京都府 1972)p655~659“三五四「學童集團疎開促進要綱および實施細目”、p659~674“三五五 受入市町村別學童集團疎開實施状況ニ関スル調”
- 【資料7】『京都府百年の年表 5』(京都府立総合資料館/編集 京都府 1970)p207“昭18(1943)年”、p209“昭19(1944)年”、p210“昭20(1945)年”、p212“昭20(1945)年”
- 【資料8】『学童疎開の記録 1』(全国疎開学童連絡協議会/編 大空社 1994)p505~507“京都市”
- 【資料9】『京都市立学校の戦中・終戦直後の教育』(京都市退職校園長会/編 京都市退職校園長会 1998)p23~105“学童集団疎開の記録”
- 【資料10】『京都新聞マイクロフィルム』1945年10月11日朝刊2面“随分お世話になりました 集團疎開學童けふから引揚げ”
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【参考ウェブサイト1】
「戦争に伴う学童疎開の記録」(京都市学校歴史博物館)
http://kyo-gakurehaku.jp/about/sokai/index.html(最終確認日:2024年1月11日)
- キーワード
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- 疎開
- 学童疎開
- 集団疎開
- 第二次世界大戦
- 太平洋戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000344856