レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年08月29日
- 登録日時
- 2014/09/07 10:44
- 更新日時
- 2014/11/29 10:55
- 管理番号
- 長野市立長野-14-015
- 質問
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解決
松代藩の重臣・玉川秀政(伊予守)、奥女中・右京(秀政の養女)と真田幸村公の不死伝説について知りたい。
秀政や右京の生没年、経歴や、秀政と幸村公の不死伝説との関わりに触れた図書、論文があれば教えてほしい。
- 回答
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①秀政や右京の生没年、経歴について
『真田一族と家臣団』田中 誠三郎/著 信濃路 1979年2月
P111-112に「玉川伊予守秀政の子孫」の項があり、
「松代町の故実家渋谷崑翁は次のように書いている。」として経歴の記載がありました。
生没年については、
秀政→「承応元年(一六五二)九月八十八歳にて卒す。長国寺に葬る。」
右京→「寛文十一年(一六七一)霜月五日卒。梅翁院開基なり。」
などとありました。
②秀政と幸村公の不死伝説との関わりに触れた資料
まず、事前にお調べいただいた「幸村、大助生存説」が小林計一郎さんの著書に多数見られました。
『真田幸村』小林 計一郎/著 新人物往来社 1979年9月 p227-232
『真田三代軍記』小林 計一郎/著 新人物往来社 1986年6月 p182-184
事前にお調べいただいた資料、
『真田幸村のすべて』小林計一郎/著 新人物往来社 1989年5月 p196-198
より前に出版されたものですが、文章の後に続きがあり古い文献ほど長くなっています。
おそらく推敲した上で削除されていったのではないかと思われます。
『真田一族外伝』田中 博文/著 産学社 2014年5月 p152
コラム「幸村は生きていた」が1ページだけありました。
『真田史料集』小林 計一郎/校注 人物往来社 1966 p437-438
(1985年にも新人物往来社から出版されています。)
【「左衛門佐君伝記稿」 巻之四 雑記(抄) 古留書〔此の書、幸村君伝記巻末附札なり〕】には
「ある説に、玉川家の祖、一とせ御預り同心の一人召連れ、勢州参宮有りしよし・・・」
と、小林計一郎さんの文章の元になっているのではと思われる記載がありました。
また、「玉川家の祖」には注記があり、「玉川伊豫守意楽入道。信長・秀吉・秀頼に歴仕し、武名があった。その女が信之の側室だった関係で信之に召し抱えられた」とありました。
『正伝真田三代記』臼田 亜浪/著 石楠書屋 1913年5月 p529-530
「幸村九州落真偽の事」として記載がありました。上記の古留書についても奈良屋角左衛門、九度山比丘尼の話などにも触れています。
- 回答プロセス
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真田信繁、真田家臣に関する資料をあたった。
【他に調査した資料】
『論集戦国大名と国衆 13 信濃真田氏』岩田書院 2014年3月
『論集戦国大名と国衆 14 真田氏一門と家臣』岩田書院 2014年4月
『真田通記 真田氏一族の伝記』真田町教育委員会/編 真田町教育委員会 1982年10月
『真田家家中明細書(史料館叢書 8)』国立史料館/編 東京大学出版会 1986年3月
『真田信繁』三池 純正/著 宮帯出版社 2009年11月
『真田三代記』矢代 和夫/著 勉誠社 1996年11月
『真田一族の史実とロマン』東信史学会/編 東信史学会 1985年
など
- 事前調査事項
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『真田幸村のすべて』小林計一郎/著 新人物往来社 1989年5月 p196-198 「幸村、大助生存説」
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288)
- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 『真田一族と家臣団』田中 誠三郎/著 信濃路 1979.02 <N288タ> (p111-112)
- 『真田幸村』小林 計一郎/著 新人物往来社 1979.09 <N289サ> (p227-232)
- 『真田三代軍記』小林 計一郎/著 新人物往来社 1986.06 <N288コ> (p182-184)
- 『真田史料集』小林 計一郎/校注 人物往来社 1966 <N288サ> (p437-438)
- 『正伝真田三代記』臼田 亜浪/著 石楠書屋 1913.05 <N288ウ> (p529-530)
- キーワード
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- 真田信繁
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000159541