レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/06/30
- 登録日時
- 2020/09/02 00:30
- 更新日時
- 2020/09/17 13:36
- 管理番号
- 秋田-2494
- 質問
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解決
石川啄木が朝日新聞の選者になったのはいつからいつまでか。その当時の新聞の記事も見たい。
- 回答
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下記資料案内。
『石川啄木伝』(岩城之徳/著、筑摩書房、1985、910.26/イイ)資料番号:110271301
『石川啄木事典』(司代隆三/編、明治書院、1970、911/イイ)資料番号:110316031
※当館に明治43年・44年の朝日新聞<復刻版>縮刷を所蔵しているので、そちらの資料も案内。
- 回答プロセス
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NDC分類910.26(日本文学 近代:明治以後.作家の伝記[作家研究])に関する書架をブラウジング。
下記資料に記載箇所あり。
『石川啄木伝』(岩城之徳/著、筑摩書房、1985、910.26/イイ)資料番号:110271301
→ P253-285 「啄木選朝日歌壇」の箇所に、明治43年9月15日以降同紙「朝日歌壇」の選者に抜擢。翌年(明治44)2月28日までの82回で、投稿者183名、総歌数568首に及び、その中には若き日の萩原朔太郎や矢代東村がいたとの記載あり。
→ P262-285には、朝日新聞「朝日歌壇」に掲載された82回の歌の掲載あり。
→ P424 年譜の箇所に、明治43年9月15日、「東京朝日新聞」朝日歌壇が設けられ、選者に抜擢の記載あり。
NDC分類911(詩歌)に関する書架をブラウジング。
下記資料に記載箇所あり。
『石川啄木事典』(司代隆三/編、明治書院、1970、911/イイ)資料番号:110316031
→ P110 「しんぶん」の箇所に、「朝日歌壇」の選者になったが、44年2月に慢性腹膜炎で入院、退院後も病状がかんばしくなく、以後ついに出社できなかったとの記載あり。
→ P353 年譜の箇所に、明治43年(1910)25歳、9月15日「東京朝日新聞」朝日歌壇が設けられ、選者となる。社会部長渋川柳次郎の推挙であった。朝日歌壇は翌年2月までつづいたとの記載あり。
※当館所蔵の明治43年9月の朝日新聞<復刻版>縮刷で、「朝日歌壇」の掲載を確認。上記資料とあわせて朝日新聞縮刷も資料提供。
- 事前調査事項
- NDC
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- 文学 (9)
- 参考資料
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- 石川啄木伝岩城 之徳/著筑摩書房
- 石川啄木事典司代隆三/編明治書院
- キーワード
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- 石川啄木(イシカワタクボク)
- 朝日新聞(アサヒシンブン)
- 朝日歌壇(アサヒカダン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵・所在調査
- 内容種別
- 一般
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000286614