レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/02/15
- 登録日時
- 2021/03/02 00:30
- 更新日時
- 2021/03/13 12:21
- 管理番号
- 秋田-2546
- 質問
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解決
秋田藩の下野領支配に関する資料はあるか。
- 回答
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以下の資料を紹介。
①『秋田県史〔通史編〕第2巻 近世編』(秋田県/編、秋田県、1977、210/アア/2郷)資料番号:124256272
⇒PP.122-123 慶長10年7月に下野国薬師寺の内5000石を渡され、翌年にその他の領地とあわせて、計5818石が正式に指定された旨の記述。PP.254-256 下野領検地についての記述。
②『秋田県史〔通史編〕第3巻 近世編』(秋田県/編、秋田県、1977、210/アア/3郷)資料番号:124015553
⇒PP.530-531天保3年6月、薬師寺領が幕府に上知されたことで、代替えとして由利諸藩の一部が秋田藩領となった旨の記述。
③『日本歴史地名大系5 秋田県の地名』(平凡社、1980、291.0/ヘニ/5)資料番号:111343521
⇒P.37 石高の欄。慶長10年に鷹場として下賜された旨の記述。
④『角川日本地名大辞典5 秋田県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編、角川書店、1980、290/カカ/郷)資料番号:124032707
⇒P.31 寛文4年に「下野国河内・都賀郡之内5800石余」という家綱の判物により、知行高が確定した旨の記述。
⑤『秋田藩下野領の成立と貢租形態』(蔵並省自/著、A212/87/) 資料番号:110739190
⇒「日本大学人文科学研究所研究紀要 3号」(1961年)のコピー。
⑥『佐竹氏秋田藩の台所』(渡部景一/著、無明舎出版、1988、611/ワサ/郷)資料番号:129448544
⇒PP.31-32 下野国拝領の経緯についての記述。
⑦『「梅津政景日記」読本 秋田藩家老の日記を読む』(渡部景一/著、無明舎出版、1992、212/ワウ/郷)資料番号:124213653
⇒PP.44-57 薬師寺受領についての記述。
⑧『佐竹家譜 下 第二十九世義和〜第三十世義厚 総索引』(原武男/校訂、東洋書院、1989、288/ハサ/3郷)資料番号:112005137
⇒索引内で下野、薬師寺の項目複数あり。P.1292⇒下野、P.1275⇒薬師寺。
なお、『佐竹家譜』は上・中・下の3部構成。
⑨『展望日本歴史13 近世国家』(東京堂出版、2000、210.08/トテ/13)資料番号:121535017
⇒PP.321-344 関東飛地支配と藩政-近世前期の秋田藩下野領を素材に-
⑩『小山市史 通史編2 近世』(小山市史編さん委員会/編集、小山市、1986、213/124/1-2)資料番号:110509528
⇒PP.51-52 下野国受領の概略 PP.86-88 寛永の久保田藩検地 P.90 佐竹氏が領内の新田開発を奨励し、以前下野国で仕えていた家臣が、参加した旨の記述。
⑪『岩波講座日本通史 第13巻 近世』(朝尾 直弘/[ほか]編集委員、岩波書店、1994、210.1/アイ/13)資料番号:120934187
⇒PP.108-109 寛永5年(1628)に起きた、下野国河内郡秋田藩領薬師寺の免乞訴願についての記述。
- 回答プロセス
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『秋田県史』『秋田市史』を確認⇒回答内資料①②の発見に至る。
地名関係の資料をブラウジング⇒回答内資料③④の発見に至る。
所蔵資料検索で「下野」をキーワード検索⇒回答内資料⑤の発見に至る。
佐竹氏関係の資料をブラウジング⇒回答内資料⑥~⑧の発見に至る。
所蔵資料検索で「飛地」をキーワード検索⇒回答内資料⑨の発見に至る。
栃木県の市町村史を確認⇒回答内資料⑩の発見に至る。
インターネットで「秋田藩 下野領」を検索⇒回答内資料⑪の発見に至る。
- 事前調査事項
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南河内町史(下野側の資料)は調査済み。
※当館でも所蔵の資料。
『南河内町史 通史編 近世』(南河内町史編さん委員会/編、南河内町、1997、213.2/ミミ/8)資料番号:128571411
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 秋田藩下野領の成立と貢租形態蔵並省自/著
- 「梅津政景日記」読本渡部 景一/著無明舎出版 (PP.44-57)
- 展望日本歴史13東京堂出版 (PP.321-344)
- キーワード
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- 下野(シモツケ)
- 秋田藩(アキタハン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵・所在調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000294598