レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/03/17
- 登録日時
- 2016/12/24 00:30
- 更新日時
- 2024/01/18 14:40
- 管理番号
- 横浜市中央2466
- 質問
-
解決
横浜の豊国橋について知りたい。
- 回答
-
豊国橋は、派大岡川に架っていた橋です。
明治6年9月に、現在の横浜市中区港町2丁目、港町3丁目から横浜市中区蓬莱町1丁目に架けられました。
派大岡川は、首都高速道路建設のため1977(昭和52)年9月に埋め立てられました。
工事に際し、豊国橋周辺の浚渫工事は昭和46年に行われています。
次のような資料があります。
1 沿革について
(1)『横浜沿革誌』
p167 明治6年「 九月 港町ヨリ蓬莱町へ架橋落成、豊国橋ノ名称ヲ付ス」とあります。
(2)『横浜市史稿 地理編』 横浜市役所/編纂 臨川書店 1985.12
p661 「第六章 橋梁」「現在橋梁表」
「豊国橋 鋼橋 中区港町一丁目 蓬莱町一丁目 42.75米(橋長)9米(幅員)」とあります。
p680 「豊國橋 〔明治六年神奈川県告示第六号〕
豊國橋 是は大岡川通り湊町一丁目より蓬莱町一丁目にて往来へ架渡す橋、右之通り橋名相定候條此旨可相心得もの也。明治六年九月十五日(後略)」とあります。
(3)「工事請負入札広告」 『読売新聞』1894年9月5日 朝刊6ページ 明治27年
「豊國橋橋台改築工事 9月18日入札」の広告があります。
(4)「豊國橋掛替苦情」『朝日新聞』1897年12月17年 朝刊 3頁 明治30年
「一昨年来 港町より蓬莱町に架する豊国橋を鉄橋に掛替工事を起こしたるより端なく橋際居住民の苦情(後略)」とあり、橋の架け替えがあったことがわかります。
(5)『横浜復興誌 第2編』 横浜市役所 1932.3
「第十六章 橋梁」
p889 中区港町二、三丁目 蓬莱町一丁目地先 大岡川(市道) 肘木式鋼板桁 斜度左68.30.00 橋長42.75米 有効幅員9.00米 面積384.75平方米 着手昭和2年3月7日 竣功昭和3年5月25日 総工費88117.46円(一面坪當757.00)
(6)『横浜の橋』 小寺篤/著 経済地図社 1973(昭和48年)
p35 豊国橋について「現在のものは昭和5年5月の竣工ということなので、これも震災で傷ついた後の竣工であろうが、それにしても曲のない板桁橋である」とあります。
2 豊国橋周辺の派大岡川の埋め立てについて
(1)『横浜の埋立』横浜市港湾局臨海開発部/編 横浜市港湾局臨海開発部 1992.3
p84 「派大岡川は、高速道路が半地下となったことから第2工区の干拓に変更して、1970年(昭和45)3月27日、免許を得、吉田川等埋立事業(1971年3月15日 市条例16号で派大岡川等埋立事業から改称)として実施されるのである。1967~72年度の6か年計画、事業費は約4億4300万円であった。」、「埋立は、コンクリート護岸と鋼鉄矢板二重締切によって、川を、新富士見川の大岡川分流点、吉田川の千歳橋、派大岡川の柳橋と花園橋付近と蓬莱橋の5か所で遮断して行われ、埋立土約30万6000立方メートルには、主として港南区野庭団地と地下鉄工事の残土があてられた。」とあります。
(2)『市政概要 1972年版 』横浜市総務局 1972
p338 「12 道路、高速道路、1 計画路線の概要 (1)横浜羽田空港線第2期(横浜市中区新山下町~横浜市神奈川区神奈川通5丁目)」
「昭和46年度は(中略)桜木町から大岡川を横断して花園橋間の派大岡川のしゅんせつ、締切、躯体工事に着手した。」とあります。
(3)『市政概要 1973年版』 横浜市 1973
p319「12 道路、高速道路」
「派大岡川においては、浚渫、締切工事は終わり、躯体工事に着手している。なお、本路線の完成は昭和51年度の予定である。」とあります。
(4)『横羽線(2期)及び三ツ沢線工事誌』首都高速道路公団神奈川建設局/編 首都高速道路公団神奈川建設局 1979.3
p105-129 「第3章 土木工事 3.3派大岡川の筋の施行」
3 地図について
(1) 竣工後、間もない時期の地図には次があります。
ア「横浜案内絵図 再版 mapu,yokohama」五葉舎万寿老人 佐野屋冨五郎 1874(明治7年春)
「トヨクニハシ」とあります。
横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」で閲覧できます。
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/
(2)比較的 縮尺の大きい実測図には次があります。
ア 「横浜実測図」内務省地理局測量課編 1881.2 5千分の1
横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」で閲覧できます。
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/
イ 「横浜市三千分一地形図」横浜市建築局 都市計画課
https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kenchiku/toshikeikaku/yoko/sankou/3000bunchizu.html
(ア) 三千分一地形図第三十五号「山下町」昭和7年3月測図 横浜市土木局(当時)作成
(イ) 三千分一地形図第三十五号「山下町」昭和7年3月測図 昭和25年4月製版 横浜市建設局(当時)作成
(ウ) 三千分一地形図「84-5山下町(昭39)」昭和39年2月修正 横浜市作成
(3)住宅地図のうち、派大岡川の埋め立てにかかる時期の地図は次のとおりです。
ア『中区明細地図 昭和47年版』 経済地図社 1972.6
17 「豊国橋」の記載があり、「(埋立て中)」とあります。
イ『中区明細地図 昭和49年版』経済地図社 1974.7
17 豊国橋の記載はありませんが、昭和47年版と同様の橋の形を表す線は描かれています。
ウ『中区明細地図(北)昭和51年度版』経済地図社 1976.3
17 豊国橋の記載はありません。
4 写真・絵葉書について
資料及び閲覧できるサイトは次のとおりです。
(1)『横浜絵葉書 Yokohama grafica』 半澤正時/編 有隣堂 1989.3
p49 「吉田橋周辺」
128「左手は蓬莱橋、右手は豊国橋」
130「人力車が通る豊国橋。明治30年に港町・蓬莱町間に架設された」
(2)「横浜豊国橋 TOYOKUNI-BASHI, YOKOHAMA.」 工業招致期:1900-1922
横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/
(3) 土木学会編,大正12年関東大地震震害調査報告書(第1~3巻),土木学会発行
関東大地震震害調査報告掲載写真 (1375枚)
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/shinsai/kanto/jsce_report/jscerp_03_01.html
(4) 横浜都市発展記念館 横浜絵葉書データベース
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/ppcDB/index.html
「横浜豊国橋」分類名:関東大震災
(5) 横浜市立図書館HP
関東大震災を調べる。>被害の模様を写真に見る(ページ3(5))
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/shiru/kantodaishinsai/menu/moyo/shashintop.html
5 その他
(1)『川の町・横浜 ミナトを支えた水運』 横浜開港資料館/編 横浜開港資料館 2007.1
p5 「横浜真景一覧図絵」明治24年 尾崎冨五郎
図中に豊国橋が確認できます。
p18 絵葉書「8豊国橋(明治30年架替)」
p23 「震災からの復興」
写真「7 大岡川筋豊国橋より吉田橋を望む(工事前)」
写真「8 大岡川筋豊国橋より吉田橋を望む(工事後)」
p48 「横浜市街地河川略年表」
年表の中で派大岡川の埋め立てに関連する記述は次のとおりです。
「1967(昭和42)年10月 市、派大岡川など3河川埋立を柱とする再開発計画を発表」
「1977(昭和52)年9月 派大岡川、首都高速道路建設のため埋め立てられる」
(URL最終確認日:2023年12月26日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 橋梁工学 (515 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000204689