レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20181213
- 登録日時
- 2022/03/31 00:30
- 更新日時
- 2022/03/31 00:30
- 管理番号
- 徳郷20181209
- 質問
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解決
現在の藍住町で藍商として知られていた奥村嘉蔵家当主の代数について。
『徳島県歴史人物鑑』(徳島新聞社/編 徳島新聞社 1994.06)T280/トク3/4-2
p87に、
「奥村嘉蔵(8代)」明治18・12・26-
「奥村嘉蔵(10代)」天保1
とある。8代と10代の表記が逆になっているのではないか。もし逆なら、10代(8代)は「奥村嘉蔵長男」とあり、父は9代ということか。
- 回答
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資料【A】p11-12「奥村家について」より、
「八代嘉蔵は名西郡佐藤塚村(現上板町)の佐藤良平の五男寅之助で奥村家の養子となり、幕末の嘉永二年(一八四九)に七代嘉蔵の死によって家督を相続し、明治二四年(一八九一)一月一九日に歿するまで、奥村家の発展に努力した。
(略)
八代嘉蔵が他界すると、九代嘉蔵が家督を相続して経営に当たったが、奥村家の大発展を図るとともに、阿波国共同汽船会社を創設して取締役に就任し、また八十九銀行頭取となって徳島県経済界に君臨したが、明治二九年に五六歳という働盛りに歿し、すでに一〇代 *嘉三も前年の明治二八年に三三歳で早世したので一四歳の嘉蔵が一一代を相続したが、そのため叔父の国太郎が後見人となって奥村家の企業経営がすすめられた。
* 本では嘉三になっている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『人事興信録 第14版 上』(人事興信所 1943)p250「奥村嘉蔵」は10代(8代)だが、明治29年に相続とあり、8代(10代)の没年と同じになっている。8代と10代は親子ではないのか。
- NDC
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- 日本 (281 8版)
- 参考資料
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- 【A】阿州藍屋奥村家文書 第1巻 (T617アイ511-12 藍住町教育委員会/編 藍住町教育委員会 1986.07)
- キーワード
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- 奥村嘉蔵、 藍商
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000314420