レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180901
- 登録日時
- 2022/03/31 00:30
- 更新日時
- 2022/03/31 00:30
- 管理番号
- 徳郷20180901
- 質問
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未解決
川内町宮島の金刀比羅神社前にある石碑に何が書いてあるか。一文字も読めない。
- 回答
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不明。
【A】『川内村史』p.999~p.1002に金刀比羅神社について詳しく書かれているが石碑についての記述はない。
同書(六)川内の名勝(p.1481~)の〈阿波十郎兵衛〉p.1484~に「金刀比羅社西隣に明治四十五年五月午橋岡本斯文撰の大碑石に、渡邊霞亭氏曾遊のみぎり詠まれた「順禮の稚児に逢ひたる花野かな」の石碑もある」(p.1488)の一文が出てくる。
【B】『阿波の文学碑めぐり』上 p.61,62に十郎兵衛屋敷の渡邊霞亭句碑の解説有り。「句碑は大正八年ごろ、旧川内村の有志により、近くの金刀比羅神社の境内に建てられていたが、昭和二十八年、十郎兵衛生屋敷復興の際、徳島県観光協会が屋敷内の一隅に移し」ている。写真あり。
このことからお尋ねの石碑はこの碑ではないようだ。
『目で見る川内の変遷』、『南海地震の碑を尋ねて』など同神社関係資料や碑文集をあたってみたが見つけることができなかった。
検索サイトgoogleで見ると,神社から離れていることが地図からわかった。神社と無関係の石碑かもしれない。
- 回答プロセス
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まず『川内村史』をあたる。宮島の名勝の主が金刀比羅神社と十郎兵衛松であるようなので、村史の金刀比羅神社、十郎兵衛の項目を見ていく。
句碑であったため【B】の資料も確認。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【A】『川内村史』 (T210カワp.1484川内村役場編 発行:同役場 1937年刊)
- 【B】阿波の文学碑めぐり 上 (T900ミソ2-1p.61,62溝渕 匠 著 著者発行 1990.2刊)
- キーワード
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- 石碑
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000314393